第 二 十 九 章



法T 


【法律はなぜ必要か?】 

 前回、『心と物質』にはたらいている法則が、宇宙の【法】だと言いました。
それは、
 @生命、エネルギー不滅の法則
 A原因と結果の法則・・・動・反動の法則、作用反作用の法則
 B循環の法則
 C慣性の法則
 D波長共鳴の法則・・・類は類を以って集まる
 の以上五つが、基本的な法則なのです。
 これらの法則を考えるには、まずはじめに【法】とは何なのか、また何のためにあるのかを考えてみなければなりません。
 
 さて皆さんは、法という言葉を聞かれた時、どのような言葉を連想しますか?【法則】という言葉より【法律】という言葉のほうが頭に浮かんでくのではないですか。
 なぜなら、法律に違反すれば、警察につかまったり、訴えられたりして罰則を科せられるので、法律という言葉が身近に感じているのだと思います。そのために、ここでは宇宙の法を考える前に、人間のつくった法律について、まず先に考えてみましょう。
 私達は、『法治国家』といって、国民の意思によって制定された法に基づいて生活をしている国民なのです。皆さんも御存知のとおり、日本では『三権分立』といって、『立法権(国会)・司法権(裁判所)・行政権(内閣以下の行政機関)』に分かれそれぞれが法を中心に活動しているのです。
 このように、私達から法というものを除いては、生活ができなくなっているのに、私達は普段、六法全書など目にすることはあまりないのではないでしょうか。
 では、どうして法治国家なのに、私達は法律を知らなくても生きていけるのでしょう。それには、まず法は何のために定めてあるのか、またどんな目的があるのかを知らなくてはならないでしょう。
 それを知るためにも、ここで日本国憲法の前文を御紹介してみたいと思います。
   
『日本国憲法』

@日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法律及び詔勅を排除する。

A日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

Bわれらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

C日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
   
 以上が日本国憲法に書かれてある前文です。 読んでみられてわかるように、法律は人類が理想郷(ユートピア)をつくるために必要な規範だといえるでしょう。
 法律用語で、『善意の第三者』という言葉が使われているように、調和を目的とした中道の精神でつくられているのです。ところが、なかには調和を乱そうとする人もいるので、裁判所という機関で、調和を乱した責任が問われ、罪として罰則が与えられ反省を促されるのです。そのために、あらゆる方面での調和を考えて、『憲法・民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法』の六つの法律がつくられているのです。これで私達がひとつひとつの法律を詳しく知らなくても、生きていけるということがわかってくると思います。つまり、人と人や、人と自然の調和を目的として生きていれば、法律に反することは少ないということになるからです。もちろん、道路交通法や都市計画等、それに町や村のルールや共同住宅のルール等は当然知っておく必要はあるでしょう。そのルールも本来は調和を目的としているので、よく考えると、ルールをまる暗記しなくても調和を目的とした中道の生活をしていれば、ルールに反することは少ないはずです。
 このように、すべての人が遵法精神で生きていけば、この世の中にはやく理想郷がやってくると思うのですが、現実はきびしく、法律を逆に利用して、法の網の目をぬけて悪いことをする人があとを絶たないのです。所詮、人間がつくった法律です。悪賢い人にかかったら、悪人が得をするということもあるのでしょう。

【国際平和を乱す悪人は誰が裁く?】

 それでは、この世の中の調和を乱そうとする悪人は、だれが裁いてくれるのでしょうか?いくら厳しい法律をつくっても、悪人があとを絶つことがありません。ならば、国際的にはどうでしょう。
 世界には国際連合があり、総会を中枢機関として、『安保理(安全保障理事会)・経済社会理事会・信任統治理事会・国際司法裁判所・事務局』などがあるのです。つまり、国際法もあり、三権分立になっているということです。
 ところが、現実には総会より、安保理のほうが実権をにぎっているのです。安保理とは、15カ国で構成されており、常任理事国と非常任理事国があります。そして常任理事国には拒否権というものがあり、1カ国でも反対すると決議できません。その常任理事国とは、第二次大戦の戦勝国のアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国なのです。
 それに最近では、NAТO(北大西洋条約機構)のユーゴ空爆が長期化しています。(平成11年5月20日現在)このNAТOも、もともとは対ソ連共産主義圏のワルシャワ条約機構への防御のためにつくられた組織ですが、今はワルシャワ条約機構も消滅しています。それでもNAТOは力を増大して存続しています。まして、ユーゴ空爆は国連の決議がないまま、NAТOがはじめているのです。このように、世界では力のある国が集まり、法として、統制をとろうとしています。ところが、世界の平和はほど遠く、紛争は激化していくばかりです。このように世界の法の統制は、日本の国内の法の統制に比べると、考えも及ばないぼど難しいのです。
 では、どうして国内法や国際法をつくっても、この世から犯罪や紛争が絶えないのでしょうか?また、先程も言いましたようにこの世の調和を乱そうとする悪人はだれが裁くのでしょうか?
 ここであらためて【法】という字の意味を考えてみる必要があるでしょう。法という字をみると、さんずい偏に去ると書いてあります。さんずい偏は水を表すので、法とは、『水が去るがごとく』という意味になるでしょう。そうすると、普遍的に変わることのないものが、法だということになります。
 ところが、国内法も国際法も所詮人間がつくった法律です。その時の時代背景やその時の権力者によってその都度、法は変えられています。これでは、その時代時代で反発者がでてくるのも無理はないでしょう。それにまたその時代の権力者が法であり、裁き手であれば、その権力者はだれが裁くのか疑問を持つでしょう。
 ここで、普遍的な法が大事になってくるのです。一般には、真理とか道理といい、これを仏教では【仏法】というのでしょう。この普遍的な法とは、宇宙の法のことで、冒頭でいいました『心と物質』にはたらいている法則のことなのです。とくに心の法則が大切になってきます。この心の法則が悪を裁いてくれるのです。

【大塚公子著「死刑囚の最後の瞬間」より】

 その心の法則を知ってもらう前に、参考になるある本をご紹介しましょう。角川文庫・大塚公子著『死刑囚の最後の瞬間』という本です。
 その本は気功教室に通ってきていただいている方からお借りした本ですが、私はこの本を読んで、人間の心の深遠さに感銘しました。この本には13人の死刑囚の最後が生々しく書かれてあります。その13人の死刑執行時の言動はさまざまですが、私達には他人ごとのようには思えない所が多々みられます。逆にここまできれいに死ねるだろうか、と思わされる死刑囚が何人もいました。
 13人の中の一人で、皆さんの中にも記憶にある方がいらっしゃると思いますが、昭和46年群馬県下で8人の若い女性を暴行したあげく、殺して埋めた大久保清の内容の一部を次にご紹介します。
 きれいな死に方の例ではありませんが、警察の取調べではなかなか自白をしなかったのが、心の葛藤によって自白をした一例です。
   ◇
・・・大久保は、すべてを自白し尽くさないかぎり、自分のわがままは許されると増長していく。
 七月十三日、大久保は三人の死体を埋めた場所を供述。その場所へ行こうと言いだす。現場へ向かっている途中(国道十八号線を進行中)態度を急変。停車を要求。「話が違う、おれを見せものにしたり、大勢の人を連れているが、この中に新聞記者がいるだろう。これでは案内できない」こう言って現場への案内を拒否した。これに対し、一時間二十分にわたって説得をつづけたが、大久保は無理難題の要求をする。「警察が約束を破った代わりに、おれに自動車の運転をさせろ」と言いだすあんばい。結局この日、死体を埋めたという現場へは行かずじまいに終わった。一日も早い全供述と死体発見をとあせる捜査側は、大久保をチャホヤしっ放しで、ある深夜などは警察学校の庭でオートバイを運転させることまでやってのけた。走り出しても逃げられないようにオートバイの後ろの席に警官が乗り、さらに校庭の要所には機動隊を配備、校庭を二周、三周と走らせたというものだ。
 結局、十三日の死体三体を埋めた場所というのは嘘の供述であった。その言いわけを七月十八日にしている。「出発(発掘)の前の晩、○○より前に殺した女が夢枕に立って、『わたしのほうが先だ。わたしをどうしてくれる』と脅かしにきたので案内できなくなった」
 しかし、難攻不落のかまえを見せていた大久保も、翌七月十九日に、ついに全面白供をはじめた。「昨夜は夢に悩まされて眠れなかった。それは○○という娘が出てきたんだ。枕元にきて黙ってすわっているだけなんだ。殺した女だから、ほんとうに恐くて冷や汗をかくんだ」・・・
   
 以上の箇所を読んでみられて、わかっていただいたでしょう。人間のつくった法では、逆に利用をして調子にのっていた大久保も、自分の心の法には勝てなかったのです。
 このように、自分の心の法に責められて自白をするケースや、自分の罪の意識に目覚めて心から被害者に詫びたい気持ちで、周りの人に感謝しながら死刑台に立ったケースがあるのです。当然、家族や刑務官や教誨師等の努力やささえがあるからこそですが。

【力学的エネルギー保存の法則】

 さてこのようにみると、自分の心の法則はどのようにはたらいているのか、私達はその心の法則を知らなくてはならないでしょう。
 ではここで、『心と物質』にはたらいている法則の一つ目の、『生命、エネルギー不滅の法則』について説明してみましょう。
 物質のエネルギーについては、ナツメ社 井田屋文夫著『図解雑学 物理のしくみ』より引用します。
   
(力学的エネルギー保存の法則)
 運動エネルギーは速さによるエネルギーであった。この運動エネルギーのほかにもう一つ大事なエネルギーがある。ボールを投げ上げた場合を例にとって説明していこう。ボールを投げ上げると速度がだんだん遅くなるため、運動エネルギーはだんだん小さくなりボールの最高点でなくなってしまう。逆に落ち始めるとだんだん速くなるので、運動エネルギーも大きくなって最初と同じになる。
 そこで、上昇する場合は、運動エネルギーが別のエネルギーに変わり、下降する場合は、その別のエネルギーが運動エネルギーに戻って、元通りになったと考えることにする。
 この別のエネルギーを位置エネルギーといい、高い所にある物体ほど大きな位置エネルギーを持っている。高さによるエネルギーである。もし、釘を立てておいて高い位置から石を落とせば、衝突して釘を打ち込むだろう。つまり、高い位置にある石は落下することによって釘を動かせるのでその石はエネルギーを持っていることになるのだ。位置エネルギーを考えると、運動エネルギーが減った分だけ位置エネルギーが増えるので、運動エネルギーと位置エネルギーの合計は変わらない。
 これを力学的エネルギー保存の法則という。例えば、あなたがハングライダーに乗って大空を飛んでいるとする。もし急降下すれば、位置エネルギーが運動エネルギーに転換するので、スピードアップすることができるのだ。
 実際、これはハングライダーのテクニックの一つにもなっている。
 「重力だけが働くとき、物体の運動エネルギーと位置エネルギーの合計は変化しない」−これが力学的エネルギー保存の法則である。
   
【生命不滅の法則】

 以上のように、エネルギーの形は変われどエネルギーの量は変わらないのです。つまり、エネルギーは「無から生まれないし有から無くならない」ということになるのです。
 それをこのまま、心のエネルギーに当てはめてみます。
 これは、前回お話しした、「私達の意識は永遠だ」ということになります。つまり、私達の魂は永遠であり無くならないということです。それに、形を変えても、自分自身は変わらないということです。そしてもう一つ、エネルギー不滅(保存)の法則で大事なことは、私達の記憶なのです。私達はよくものを忘れることがあります。ところが、忘れるということは、記憶から無くなったということではありません。皆さんは1、2歳の頃の事を覚えていますか?
 殆どの方は記憶に無いとおっしゃるでしょう。ところが、衝撃的な体験をされた方は1、2歳のことでも鮮明に記憶に残っているとおっしゃいます。つまり、魂に強く印象付けられるかどうかだけで、覚えているか忘れているかということになるのです。体験したことや思ったことは、全て記憶にはのこっているのです。
 生まれて間もないころや、生まれるまえのことなどが全て記憶に残っているとなれば、私達の魂の記憶の量たるや膨大なものだといえるでしょう。なぜなら、宇宙の始まりからのことを、全て魂に記憶されているということになるからです。
 それでは、「宇宙の始まる以前についての記憶はないのか?」と思われるでしょう。それは、エネルギー不滅(保存)の法則からいえば、記憶があっていいはずだからです。このことについては、前回お話しした【絶対的世界】と【相対的世界】を思い出してください。宇宙が始まるまえの世界を絶対の世界といって、喜びも楽しみも哀しみも怒りもない世界でただ調和だけだといいました。
 その理由で、私達の心の根源は調和だけなのです。記憶の世界は相対の世界、つまり宇宙が出来て、人間が喜怒哀楽をもってからなのです。言い換えると、私達の心の中心には神の心があり、そして私達の心は宇宙の全てを知っているのです。
 このように、私達の心は偉大なのです。これを仏教では『仏智』というのでしょう。私達は自分自身を小さなものだと思って、なげやりになったり、自虐的になってはいけないのです。
 生命・エネルギー不滅の法則を知ることによって、自分自身が過去永遠に生きていることを知り、自分が宇宙の中心であることも知るのです。このことから、人は謙虚さが芽生えてくるのです。
 では、悪いことをしている人は、生命・エネルギー不滅の法則によって、どのように裁かれるのかといいますと、冒頭でいいました、
 A原因と結果の法則・・・動・反動の法則、作用反作用の法則
 B循環の法則
 C慣性の法則
 D波長共鳴の法則・・・類は類を以って集まる
 の法則と混じり合って裁きが発揮されるのです。
 では、次章は生命・エネルギー不滅の法則と混じり合ってどのように裁かれるのか考えてみましょう。



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