第 三 十 二 章



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【女性は男性より強い?】 

 今回は人間の究極のテーマである男女の問題について一緒に考えてみましょう。
   
 最近は女性が強くなったという話をよく耳にするようになりました。たとえば、アッシーくんやミツグくん等と呼ばれて、女性に尽くすだけで喜ぶ男性が増えていると聞きます。また、小学校では男女が喧嘩をすると女性のほうが腕力があるということも聞きます。
 過日テレビで若い女性の討論会がありました。そこで聞いて驚いた意見はなんと「最近の男の子は可愛いね、だってあまりきつく言うとすぐ泣き出すんだもの」ということです。昔と比べるとなんと女性の強くなったことでしょう。それとも男性が弱くなりすぎたのでしょうか?それにまた私は、最近若い人の靴底の減り方が気になっています。昔の男性の靴は外側が減り、女性は内側が減っていたのですが、最近の若い人の靴の減り方が、男女逆になってきているのです。
 はたして、男女の関係はこのままでいいのでしょうか?男女関係というものをもう一度真剣に考えてみる必要があると思います。
 ではまずどうして以前より女性が強くなったのかを考えてみましょう。
 その理由の一つとして、ウーマン・リブ運動があげられます。アメリカからやってきたこの運動は日本にも影響を与えました。アメリカでは、ウーマン・リブ運動の男女同権・男女平等の掛け声にのせられて、女性達は勇敢に離婚していき、男に奉仕したくないということで結婚しない女性、子供だけ欲しいといって私生児を産む女性、そして、女性が強くなりすぎた結果、女性に手を出すのがこわくなって男同士で関係するホモが増え、青少年の非行、暴力、麻薬常習等、その他黒人達を職場から追い出して暴力犯罪に走らせるという人種差別問題にまで発展してきてしまいました。日本では、アメリカほどにはいたりませんでしたが、それでもかなりの影響を受けたのです。
 アメリカでも日本でも、ウーマン・リブ運動が起きたということは、以前から男女にとっての差別があったということになります。

【男尊女卑の歴史】

 どのような差別があったのかというと、それは歴史をみればよくわかるでしょう。
 古代日本では、共同生活を血のつながりをもとに、全員の平等を保障するために、女性が優越していた母系制氏族社会でした。ところが、奴隷の発生で裂け目ができ、集団の富を私有財産に変えていく男性の支配者によって、父系制に変えられていきます。そして、私有財産を自分の子に継がせようとして、女性にまちがいなく自分の子を生ますために、女性を男性の支配のもとにおいていったのです。また私有財産でも、土地を増やした豪族や名主等は、土地を守り拡大するために武力が使われ、武士がうまれてきました。そして、戦いと権力の世の中になっていったのです。
 女性の地位はますます低くなっていくばかりです。それに、中国の男尊女卑の法体系をまねした律令制や仏教や儒教の影響下のなかで、女性への差別は全国的社会的なものとなっていくのです。男女の差別は近代にまで続き、参政権や雇用問題、賃金格差等の問題がありました。ところが、戦後婦人運動が盛んになり、女性の立場はどんどん改善されてきたのです。そのなかの一つにウーマン・リブ運動があったのです。
 最近では、セクシャル・ハラスメント(セクハラ)といって、男性が職場で性的いやがらせをしたら、すぐに訴えられるようになりました。また、男女同権だということで、男性にも家事と育児を平等にさせろという女性の声も多くなってきました。
 従来の間違った男女の差別は当然是正されるべきだと思います。しかし、なにもかも「男女同権、男女同権」と言っていますが、はたしてそれで良いのでしょうか?
 権利に対して義務をどうして言わないのでしょう。男性に男性の権利があるのなら男性の義務があるはずです。またそれに、女性にも当然女性の権利もあるはずですが、女性の義務もあるはずです。

【男女差別の問題】

 ではここで、ある二つの本の中から、女性問題についての内容を一部づつをご紹介してみたいと思います。一つは、新日本出版社『新しい法と自分らしい生き方』もう一つは、グレース編集室『新・女性讀本』です。この二つの本には男女差別の問題がそれぞれの見解で書かれてあります。二つの本の内容の違いを比べてみてください。

◎新日本出版社『新しい 法と自分らしい生き方』 より
   
◇『校歌に残る「男の子らしく、女の子らしく」』神奈川県大磯町の町立国府中学校で、校歌の歌詞について、生徒の間から「おかしい」という声が出始めているといいます(「朝日新聞」一九九八年九月一九日付夕刊)。
 歌詞の一部に、次のようなものがあります。「男(お)の子われら励まざらめや おみな子われら たおやかに伸びん」「男の子われら 努めざらめや おみな子われらうららかにあらん」「男の子われら 名を立つべし おみな子われら清らかに生きん」
 女性徒の一人は「入学してすぐ男女差別だと思った。『男らしく、女らしく』ときめつけられているようでいやだった」と言っています。この学校では、前年の卒業式以来、式典などではこの校歌の斉唱はやめてピアノ伴奏だけにしていて、町教育委員長は、町議会での質問にこたえて「現代社会にマッチした末永く歌い継がれる新校歌をつくる」との方針を明らかにしました。
 この校歌がつくられたのは、一九五二年だといいますから、日本国憲法が施行(一九四七年五月三日)された後です。憲法で男女平等がはっきりとうたわれているのに、まだまだ、戦前の考え方が残っていたことがよくわかります。
 男の子には、「励め」「努めよ」「名を立てよ」と激励しています。つまり、社会人としての自立・成功が目標になっています。しかし、女の子には、「たおやかに」(しとやかに)「うららかに」(明るくほがらかに)「清らかに」(けがれなく)生きることをすすめています。女の子には、従順・貞淑が目標とされています。戦前ではあたりまえの考え方だったでしょうが、この校歌がつくられてから五〇年近くの間、なんの疑問も持たれずに歌い継がれてきたことに驚きを感じます。でも、今までも、まだまだ「男の子は男の子らしく」「女の子は女の子らしく」という考えが、根強く残っているのではないでしょうか。
 まだまだ学校でも家庭でも女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく育てるという意識が残っています。これからの社会は、そうではなくて、男の子も女の子も一人の人間として、「男の子」「女の子」とくくってしまうのではなくて、それぞれ個性のある一人の人間として育てていくことが大事だろうと思います。
 
◇『「女子の特性」論』

 実は「女性の特性」論は、戦後も文部行政のなかではっきりと組みこまれ、展開されてきたのです。その一つが、一九七〇年の高等学校家庭科の女子のみ必修化でした。この家庭科の女子のみ必修化を含む教育課程審議会の答申「高等学校教育課程の改定」が、一九六九年にだされました。これをうけて、文部省初等中等教育局長は「女子がその特性に応じて、将来よい妻、よい母として、喜んで、じょうずに、らくに、その役割を果たしていくことができるように、またそうしたことに誇りをもつようにするのが、高等学校家庭科のねらいであり、また、そのような女性こそ、新しい時代に生きる女性であろう」とのべていることに、はっきり表されています。
 「女性の特性」論は、人間として必要な「やさしさ」「おだやかさ」「たおやかさ」などが、このように女性だけの「特性」とされ、妻として、母としての役割を果たす上に必要なものと矯小化されて、女性を「妻」「母」としてしか生きられないものに封じこめる役割を果たしていると言えるのではないでしょうか。そしてまた、「妻」と「母」に封じこめられた女性は、一人の人間としては経済的にも精神的にも自立できず、自分一人では何ひとつ決断できず、「めめしく優柔不断」な人間として、一生を終わらなければならないのです。
 「女性の特性」論は、女性の幸せは家庭にあるとして、「男は仕事、女は家庭」という性別で役割を固定してしまう、固定的な性別役割分業を支えるものといえます。社会に出て仕事につく男性は、自ら積極的に、かつ合理的判断を行って行動し、結果については責任をとることが求められ、これが「男らしさ」とされます。しかし、家庭にいる女性は、夫に従っていさえすればよく、自分で判断したり決断したりする必要はない、やさしく、夫もふくめ家庭の身のまわりのことによく気がつけば、消極的、受け身的な「女らしさ」が求められるからです。

◇『結婚を永久就職にしない生き方を』

 (・・・前略)
 昔は、結婚すればこれで一生食べていけるということだったかも知れないけど、これからはそうではないということです。結婚に、自分の生存と自分の生き方の全部をかけ、夫と子供に自分の人生を捧げるという生き方は、法律上も保護しないという流れになってきているということ、これをきちんと見て、生き方を選択していくことが必要なのだと思います。
 本来、結婚というものは、個人と個人の結びつきです。自立した個人、自立した男女が、平等なパートナーとして人生を生きていくのが望ましいわけです。そこには、従属関係、経済的な面でも精神的な面でも、それが双方にあってはならないのです。
 精神的な従属という点でいえば、精神的自立が出来ていない妻は、まだまだ多いと思われます。共働きで働いて、経済的には夫と同じくらいの稼ぎをし、あるいは家計には夫より多く入れているという妻もたくさんいるんですが、精神的な面では、まだまだ夫に依存する、あるいは、夫の甘えや依存を許してしまうというケースも結構あります。
 (・・・中略)
 離婚についての法律が変わるということは、結婚のあり方が変わるということになるのです。離婚のときに損をしないようにということではなくて、結婚生活自体を夫婦平等にすすめていかなければならないのだと思います。
 共働きの場合でも、結婚生活のなかで自然に家事・育児などは、お互いに分担し合い、そしてまた家計費についてもきちっと出し合う関係をつくっていかないといけないのではないかと思います。
  

◎グレース編集室『新・女性読本』より
   
◇『働く女性たち』
 (・・・前略)
 しかしアメリカでも、ほんの三〇年前には六才未満の子供を持つ母親の就業率は、わずか、一九%だったのに、ブリーダン女史がウーマン・リヴ運動を唱えてから急激に、働く女性がふえたという。女が家庭を留守にして働くようになってから、子供の非行、暴力も急激にふえ、離婚も急増した。両親の離婚によって犠牲になった子供たちはみな、心に大きな悩みをもっているという。
 仕事と子育てを両立させることは、肉体的にも精神的にもきびしい。どちらにするべきかという悩みが、今、アメリカの女性たちにも、起こっているというのである。
 日本の場合をみてみよう。
 日本でも、アメリカのウーマン・リヴ運動の波をもろにかぶって、それ以前には考えられなかったような、家庭悲劇が急増した。当時、マスコミが、働く女性を本当の価値ある女性とし、専業主婦は、何かわるいことでもしたかのように小さくなってしまった。一方、経済環境の変化により、女の働く場もふえ、今もし、働く女性がいっせいに仕事をやめて家庭に入ったら、忽ちにして日本経済は破産するという程の状態になっていて、職場も女性を必要とするようになり、個人の経済生活の上においても、ローン等の支払いのために共働きしなければならない人たちもふえている現状ではあるが、結果として生じている、離婚や子供の問題を、どうすればよいのかということなのである。
 ここでもう一度、ウーマン・リヴ運動の影響と正否を見つめ直すことにしなければならない。一九八八年(昭和六三年)十一月、文芸春秋社から、松原惇子著『クロワッサン症候群』という本が出版され、一方、離婚、子供の非行暴力、いじめ、殺人事件がふえた結果、女性自身の間からも、女が家を外にして働くことはよいことなのかという疑問が出されて「働く女のあり方」というものが問い直されるようになり、その風潮を察して、一時ほどには、マスコミも働く女を礼讃しなくなったが、その経緯を追ってみよう。一九七七年(昭和五二年)四月、平凡出版社から、『クロワッサン』という女性誌が出版された。それまでの女性誌も、そのほとんどが、ファッション、食べること、育児、こうしたら一〇キロやせるというような記事ばかりで、余り売上も伸びていなかった。『クロワッサン』も出版はしてみたが、結果はよくなかったという。
 そこで七八年(昭和五三年)五月『クロワッサン』は、六〇年代アメリカで始まったウーマン・リヴ運動が、日本でも定着するのではないかと狙いをつけて、女は結婚から解放されて、自由に飛ぶべきである。女よ、家庭を捨てよ、子供を棄てよ・・・という編集方針にきりかえて、結婚しないで自立している女、結婚に失敗して離婚した女、などが、さも立派な女であるかのようにいう内容の本にした。
 その時の事情を記した『クロワッサン症候群』から、その内容の一部を引用してみる。

結婚した女はみじめか離婚しているわ・・・”
十六年間、少なくとも夫と二千回セックスしたわ。私は、名門校出の高級娼婦にすぎなかった”
結婚する気、ないですね。問題なのは精神的にも経済的にも自立すること。だから私はそれらに合った生活スタイルを選んできただけ”
女はいつだって、「結婚」を離れて、一人でも生きられる”
 (クロワッサン一九七八年八月一〇日号)

 このクロワッサンの編集方針に刺激されて、すべての女性誌が「結婚する女は最低、結婚しないで、キャリア・ウーマンとして生きるのが最高」というようなことを、いっせいに書き立てたのである。
 或る日、書店に行った女性達は、どの女性誌にも「結婚はみじめ、夫と子供のためになど縛られないで、女一人で翔びなさい」と書いてあるので、びっくりして目をまわしたのである。
 (・・・中略)
 だから松原惇子さんは『クロワッサン症候群』の本の始めに さあ、みなさん、(二階は特等席ですよ)こっちですよ、おあがりなさいよ。賢明な女は、これは危い、と気づいて、はしごを下りた。大部分の女は、はしごをはずされたことに気づかない。二階に上がったままで下りられなくなった不幸な女たちがいっばいいる。
 クロワッサンが、当時の女たちに与えた影響は、はかりしれないものがあった・・・というように書いていられるのである。
 クロワッサンをはじめ、あらゆる女性誌が、いっせいに翔んだ女として、女の独立、自由、離婚をはやしたてた時、女たちは大きく四つに分かれた。

一 女性誌にあおられないで、女の幸せは家庭にあると考えて、堅実に家庭を築くことに努力した女たち。
二 女性誌に書かれていることが、あるいは正しい女の生き方かもしれない。だが、夫と離婚して独立しては子供を養ってはいけないと、離婚は思いとどまったものの、積極的に家庭をよくしようという努力はせず、とにかく働きに外へ出て、毎日毎日、夫や子供に不平不満をいっている女達。
三 女性誌に書いてある生き方が正しいと単純に信じて、勇敢に離婚した女たち。
四 最初から結婚することを拒否した女たち。

 世の中には、どうしようもない生活能力のない、女の気持ちもわからない男性というものがいるものである。不幸にして判断を誤って、そういう男性と結婚したという場合は、離婚することも、やむを得ないが、世の中の女性の大部分は、女の幸福は家庭にあるとおもっているものなのである。
 ウーマン・リヴ運動の創始者ブリーダン女史は、ウーマン・リヴ運動を提唱したばっかりに、自分も夫と離婚しなければならなかった。その頃は若かったが、現在は六〇才を越してしまって、彼女は後悔しているというのである。「あの時は、どうして男を敵みたいに考えたのかわからない・・・今からでもできたら結婚したい」と言っているという。
 このブリーダン女史が唱えた、ウーマン・リヴ運動は、アメリカから日本にわたり、世界中を吹きぬけて、たくさんの不幸な女性と子供をつくり出してしまったのである。
 女性誌にあおられて離婚した女性たち、外で働くことに夢を描いて家庭をおろそかにした女性たち、夫をときふせ働きに出た女性たち、これらが、まともに子供を育て一生を通じて幸福な人生を送ることが出来るかどうか、問題は大きい・・・
   
 
 さて皆さん、この二つの本からの内容を比べてみていかがでしたか?
 男女の問題はどちらにかたよって判断しても、正しい答えは望めないでしょう。この間題は次章、宇宙の陰陽理論に基づいて説明をしていきたいと思います。



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