第 二 十 六 章



意識界U 


【反物質とは?】 

 前回説明した反物質の世界が意識の世界、つまりあの世の世界なのだと言いました。
 この反物質について少し復習してみましょう。1928年、イギリスの物理学者ディラックが、反物質の存在を予言しました。本来、原子はプラスの電気を持っている陽子と、電気を持たない中性子とマイナスの電気を持った電子とで構成されています。その原子がいろいろ組み合わさって分子になり、物質をつくりあげているのです。
 ところが、ディラックは陽子や電子などの粒子には、その粒子と同じ質量を持つが、電荷は逆の反粒子が存在していると言っているのです。そして反粒子が集まって反原子をつくり、反原子が集まって反分子をつくり、反分子が集まって反物質を構成するという可能性があるのです。つまり、反物質地球や反物質銀河や反物質人間が存在する可能性があるということなのです。
 そして前回紹介したように、1996年1月4日欧州合同原子核研究機閲は国際研究チームが反物質の水素合成に世界で初めて成功したと発表しました。また、1997年4月28日米航空宇宙局(NASA)は、『銀河系の中に少なくとも2箇所、反物質が大量に存在し、物質と激しく対消滅している領域があることがわかった。反物質存在領域は、銀河系の中心部で噴水のように湧き出ている領域があり、また銀河平面の縁にも反物質が雲のように広がって存在する領域があるという』と発表しました。問題は、【対消滅】といって反粒子が通常の粒子と衝突すると爆発し、大量のガンマ線を放出して両方の粒子が消滅するということです。たとえば、人間と反物質人間が握手すると、1メガトン級の爆弾(TNT火薬100万トンに相当)1000発分にも相当する大爆発がおきて二人は消滅する、といわれています。
 これは、SF映画にもよく使われます。たとえば、映画『バックトゥザフューチャー』のなかで、主人公がタイムマシーンに乗って過去や未来にいくのですが、タイムマシーンを作った博士に、「過去や未来の自分と顔をあわすと自分が消えてしまうぞ」と言われるところがあります。これなどは、対消滅のことを言っているのでしょう。
 ところが皆さんよく考えてみましょう。この宇宙は陰と陽で出来ているのです。(本書三章・陰陽@、四・陰陽A参照。)たとえば、身体も右半身と左半身にわかれていますが、仮に、右半身と左半身がぶつかって重なり合うと消滅するのかもしれません。どういうことかと言いますと、お風呂の中で、指で右回しの渦(陰)と左回しの渦(陽)をつくって、両方の渦をぶつけると渦は消滅してしまうということです。しかし現実には陰(右半身)と陽(左半身)は調和して結合しています。またコインの裏と表をみてもそうです。それでは、陰と陽の境目はどうなっているのでしょう。
 人体を例にみてみましょう。身体の右半身と左半身の境目には、任脈と督脈というものがあり、そこに気が流れていると、東洋医学はいっています。また、男(陽)と女(陰)をみても、境目にはなにか引き合うものが流れているではありませんか。
 このように字宙のすべての陰・陽の間にはエネルギーが流れていて、ぶつかりあわずに調和しているものです。そうすると、物質の世界と反物質の世界にも調和のエネルギーが流れているはず、と考えられないでしょうか。
 さきほど言いました、物質地球に対して反物質地球、物質銀河に対して反物質銀河、物質人間に対して反物質人間の存在が可能なはずです。

【幽霊の体も反物質】

 皆さんの中には、「私は幽霊を見た」という方がいらっしゃいませんか。この幽霊の体が幽体といって反物質の体だといえるでしょう。
 元米国イエール大学医学部解剖学教授ハロルド・サクストン・バー(1973年没)は、生命場(ライフ・フィールド)といって、身体の中には、生命の鋳型があるのだと言っています。(本書七章・意識A参照)心臓には心臓の鋳型、肝臓には肝臓の鋳型というふうに、つまり反物質の体があるのだと言っているのです。そして物質の体と反物質の体を繋いでいるのが霊子線というものなのです。
 では霊とはどのようなものなのでしょう?
 霊とは、ふつう幽霊というように人間と同じ形をしたものをいいますが、幽体と霊とを分けて考えたほうがわかりやすいと思います。幽体はいま言いました、反物質の体のことです。また霊とは、一般に魂とか心と言われているものなのです。宇宙には宇宙の霊があり人間には人間の霊があるのです。そして、そのどちらの霊も同じものなのです。また、霊と霊のあいだに流れているものを、霊子といいます。別の言い方をすれば【気】というのです。まさに、『気は心』です。この霊子(気)を元にして、物質と反物質をつくっています。所謂、霊とはエネルギーの根源ということになります。
 宇宙の創世は、まず反物質の宇宙をつくり、次にその影として物質の宇宙が形成されるということになります。

【日本で昔から言われている死後の世界】

 では、ここから反物質の宇宙である意識の宇宙の構造を考えてみましょう。
 反物質の世界とはエネルギーの世界のことです。当然、物質の世界も基本的にはエネルギーの世界ですが、物質の世界はエネルギーが集中固体化した世界ですので、重力というものが働くため、周波数の違うものどうしでも集まることができるのです。
 ところが、エネルギーの世界とは光や電気のような世界なので、波長共鳴の法則が働いているのです。
 つまり、意識の宇宙では何段階かの層に分かれているのです。虹が七色に分かれているようにです。それでは、あの世の世界がどのように分かれているのかを考えてみましょう。日本では、苦から仏教思想の影響で、死んだら【極楽】か【地獄】という考えがあります。
 まず、日本で昔からいわれている死後の世界はどのようなものだといわれているのかを、オーエス出版株ュ行 西条慎之介 著『目で見る・わかる!「あの世」の世界』よりその一部を御紹介してみましょう。

【「日本式死後の世界」の基本構造】

 人は死ぬとどこへ行くのでしょうか?
 その一つが地獄でした。しかし、生前に「悪いことをすれば地獄行き」となり、よいことをすればその反対側の極楽かというとそうではありません。
 『輪廻の思想』といって、人は悟らない限り、あるいは諸仏の救いや助けがない限り【六道(ろくどう)】(地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界)の六つのステージに生まれては死に、死んでは生まれ、苦しみ続けるといわれています。これは平安時代や鎌倉時代に仏教の普及を背景に形成されていった死後の世界観です。
 つまり地獄は苦しみの世界である【六道】の中の一つにすぎなかったのです。
 こうした世界観をまとめてみましょう。
 
〔1〕死後の裁判
●次の世が決定するまでの期間(中陰)。
●七日ごとの裁判があり四十九日目に来世が決定
(初七日や四十九日などの法要のルーツ)
●死者は「死天の山」を歩き「三途の川」を渡り(子供は渡れず「賽の川原」で苦しむ)、閣魔王の裁判などがある。

〔2〕六道輪廻の世界
●霊魂が生死をくり返す六つの世界
(地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界)
●「無常」と「四苦八苦」でできている。

〔3〕極楽
●仏の国。無常(生死)と四苦八苦のない絶対境地。
(極楽への道は、 @悟りをひらく A諸仏を信仰する B善行をおこなう
 C供養してもらうなど)
 
 もちろん時代や地域、日本の仏教の中でも宗派によって考え方に相違がありますから、これはあくまでオーソドックスなものについて整理したものです。
 源信の『往生雲集』は、「死後の裁判」を除けば、このシステムを採用しています。また、『今昔物語』(1110年ころ)は『往生要集』(985年)よりあとに成立しているのですが、二つの本に書かれている地獄の構造や様子は必ずしも一致していません。これは編集目的による差です。『往生要集』は、この世と死後の世界を説明する宗教書なのですが、『今昔物語』はさまざまな説話を収集した読み物なのです。

【これが「六道輪廻」のステージだ】


〔六つの世界は一つの世界の中に存在している〕

【天上界】寿命は長く、歓楽の世界ではあるが、最後には「苦しみ」と「死」が待っている世界。
【人間界】私達の世界。他の異界の生命体も出入りする。仏が出現し、最も修行のしやすい世界。
【阿修羅界】説話にはあまり登場しない。阿修羅の娘を奪った帝釈天と常に戦っている。人間にない能力を持つ鬼人。
【畜生界】日頃の行いによって、牛や馬、蛇などに生まれ変わる。場合によっては生前中、動物に変身することもある。
【餓鬼界】常に飢えている亡者。住居は地下にあるといわれているが、地上をふらつく者もいる。
【地獄界】閣魔王が裁く「苦しみ」の極致の世界読経や写経、遺族の追善供養にては脱出できる。

 『往生要集』は苦しみの世界(地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界)を脱出して極楽へ行こうという、極楽往生の勧誘書なのですが、この本によると地獄は八つの層からできていて、しかも階を追うごとに刑罰はすさまじくなり、刑期も長くなっていくと記されています。
 つまりですね、地獄というのは地下八階建てでできているのです。しかも、火あぶりにされたり、フロアー全体が燃え盛っていたり、とにかく熱いところのようです。人間界の火を地獄の火に比べたら雪のようなものだ、とも書かれています。さらに、さらに、死んでは生き返り、また死んでは生き返り、いつ果てるとも知れぬ責め苦を受け続けるのです。
 その入口の一階をご案内してみましょう。一階、ここは地獄でもいちばん刑が軽いとされている「等活地獄」です。生前、生き物をむやみに殺した者が堕ちていくといわれている場所で、鬼がやってきて罪人の体をバラバラに切断しているではありませんか。さらに、鉄の棒で罪人たちを頭から足の先まで叩きつぶして、砂のように粉々にしている光景も見えます。つまり、ここではコロッケのひき肉作りをしているようなものです。また山上に張られた鉄縄では綱渡りもさせられているではありませんか。アッ、落ちた。 しかし、死んでしまっても、また冷風を浴びると生き返るのです。「等しく活き返れー!」の号令でまた罪人の体に戻るということから【等活地獄】とネーミングされたところでございます。刑期は五百年です。ところが、ここでの一日は私たちの九百万年に相当しますから、約一兆六千二百億年ですか。ま、有史以来、地獄に堕ちて、出所してきた者はいまだかつて一人もいないという計算になります。
 以下、黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・阿鼻地獄です。(紙面の都合上一つ一つの御紹介は省きます)苦しさは地下一階からますごとに十倍、十倍で増加していきますし、刑期も天文学的数字で加算されていきます。
 また、『日本式死後の世界』に現れた世界は、極楽と六道が基本となっていましたが、説話集を見ますと、【鬼道】や【天狗道】【蛇道】などが『六道輪廻』と同様の世界として登場してきます。いわゆる『六道輪廻のはみ出しルート』といったところでしょうか。

【キリスト教の世界でいわれている死後の世界】


〔『キリスト教世界』の天国と地獄〕

 仏教とくれば次に思い浮かぶのは普通、キリスト教ですね。
 簡単にいってキリスト教の宇宙観は、【天国】と【この世】そして【地獄】の三部構成でできています。キリスト教の教えを信じれば天国、背けば地獄が用意されているのです。そして、特徴的なのは『最後の審判』にあります。キリスト教では世界の終わりに神の審判があり、この裁きには生きている人も死んでいる人も、すべて等しく審判を受けるといわれています。
 仏教との大きな違いは、仏教が『六道輪廻』という、霊魂が循環する円形型の世界観なのに対し、キリスト教では天国、地上、地獄という垂直型の構造になっていることです。
 つまり、仏教では『六道輪廻の法則』によって魂は地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界の六つのステージを生死をくり返しながらグルグル回るのですが、キリスト教では生まれ変わりはありません。人生一度、死んだらそれで終わりです。
 また、仏教では地獄に堕ちても、追善供養などによって救われる可能性はあるのですが、キリスト教では、一度堕ちたら『最後の審判』があるまで永遠に火攻め・水攻めなどの拷問に苦しむのです。

〔【天国】【地上】【地獄】の垂直型の宇宙観〕

●世界は神を中心に【天国】【地上】【地獄】に よってできている。
●世界の終わりに『最後の審判』があり、生きている者も死者も神の審判を受ける。
●仏教の場合は魂は輪廻するが、キリスト教では 使用は一回のみ、輪廻しない。
●地獄は後になって、次の二つに分かれていく。
【地獄】(インフェルノ)・・・永遠に苦しみの続く世界
【煉獄】(プルガトリウム)・・・反省すれば罪が消える世界

 日本において地獄を探ろうとすれば何といっても源信の『往生要集』なのですが、キリスト教においてはダンテ(1265〜1321)の『神曲』がこれに匹敵するかもしれません。
 『神曲』は『往生要集』のような宗教書ではなく、どちらかといえば文学書なのですが、ヨーロッパのキリスト教的地獄を克明に記述した奇書で、リアルなさし絵も多くの画家によって描かれています。
 ダンテの記した地獄はエルサレムが入り口の頂点となっていて、そこから垂直に地下に向かって下がると、九つの地獄が環状に広がっています。しかも、すりばち状になっていて、下に行くほど小さくなっています。

 第一、無信仰地獄(キリスト教知らないよ地獄)
 第二、邪淫地獄(ミノス王の裁判)
 第三、美食地獄(グルメきどりの堕ちて行く地獄)
 第四、貪婪乱費地獄(ケチと浪費家の地獄)
 第五、憤怒地獄(おこりん坊の泥沼地獄)
 第六、異端地獄(異教徒地獄)
 第七、暴虐地獄(あばれん坊の集まる地獄)
 第八、欺瞞地獄(地獄の八丁目の「十大地獄」)
 第九、反逆地獄(地獄の九丁目、最下部)

 どうでしたか?
 以上が『目で見る・わかる!「あの世」の世界』より御紹介した、仏教式とキリスト教式のあの世の世界ですが、皆さんは信じられますか?
 現在では、お寺でも教会でも、「生きている人へのいましめのためにいっているのだ。現実にはあの世なんてないよ」と説明する人が多くなっています。ところが、前回からお話ししている、反物質の世界があるのだとわかってきたらどうでしょう。
 今、お話ししてきたような世界が本当にあるのでしょうか?
 次章も引き続き、反物質の世界つまりあの世の世界について、考えてみましょう。

  
  
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