第 二 十 五 章



意識界T   


【夢の世界は幻か?】 

 さて、皆さんは夢をみたことがあるでしょう。夢について皆さんはどのように理解していますか?
 広辞苑によると、「睡眠中にもつ非現実的な錯覚または幻覚」とありますが、世の中には『夢分析・夢占い・夢知らせ・夢枕に立つ・正夢』という言葉があるように、現実と一致するような夢のあることも事実です。また精神科医であるフロイトやユングも夢について研究をしてます。
 それに錯覚や幻覚といっても、夢は私たちの記憶にしっかりと残っているではありませんか。よく考えてみてください。皆さんは、いままで経験したことが記憶に残っているからといって、身体にも感触として残っているでしょうか?身体の感触としては当然残っていないはずです。
 身体に感触として残っていないということになれば、記憶というものは、夢や幻覚とどのように違うのでしょう。私たちは、体験したことは体験した事実として記憶していると思っているでしょうが、夢や幻覚を見た人も、意識で体験をした事実として記憶に残っているのではないでしょうか。
 麻薬中毒の人は幻覚のために、人まで殺すことがあるのです。中毒患者の意識の中では、実際に人が襲ってきたり、実際にののしる声が聞こえてくるのです。麻薬中毒者だけではなく、ノイローゼ等の精神病の人も幻聴や幻視として聞こえたり見えたりします。この人達は、実際にそこに人がいなくても、声としてはっきり聞こえるし、姿も色もはっきりと見えるのだと言います。そして自分の記憶にも残るのです。
 このように考えると、記憶の世界(意識の世界)では、三次元世界での体験と夢や幻覚の体験の違いを、これは事実でこれは錯覚だというように区別できないのではないですか。一日平均約八時間眠るとすれば、私たちは一生の三分の一は夢の世界(意識の世界)に行っていることになります。となると、私たちの一生の三分の一は、夢・幻ということになりますが、一生の三分の一を錯覚と決めつけてよいのでしょうか。

【眠りは何のため?】

 ところで、科学者は睡眠と夢についてどのように考えているのでしょう。
 竹内均編集『ニュートン人体の不思議』より睡眠についての一部を次に紹介しましょう。

〔眠りはなんのためにあるのか?〕
 『これまで睡眠は大脳のための休息であることを強調してきた。大脳を深く眠らせる点に関するかぎり、深いノンレム睡眠だけが重要で、浅いノンレム睡眠やレム睡眠は補足的な役割しかしていないようにみえる。たしかに、長い間眠らずにいたあと「断眠効果」としてまずふえるのは、深いノンレム睡眠である。この眠りを誘発する睡眠物質は、脳内からたくさん発見されている。またこの眠りは、体の修復や成長にとって非常にたいせつである。体細胞や新生や代謝過程の促進に重要な成長ホルモンは、大人でも子供でも、深いノンレム睡眠のときに多量に分泌されている。深いノンレム睡眠が成長期の子供でとくに多く、高齢者ではきわめて少ないのも、神経回路の形成や補修の必要性と関係がありそうである。風邪などで体が細菌に感染したとき、真っ先にふえるのも深いノンレム睡眠なので、免疫機構を増強する作用ともかかわっているらしい。
 しかし睡眠の役割については、ほかにもいろいろな考え方がある。レム睡眠は学習や記憶のしくみに深くかかわっているから、大脳にとってはこちらの眠りのほうが重要だという説がある。睡眠中に体にはブレーキをかけておいて、脳を活性化して覚醒期に取りこんだ大量の情報を整理する。そして必要なものは記憶として定着させ、不必要なものは捨てる過程がレム睡眠だと主張するものである。
 乳幼児期にはレム睡眠が眠りの大半を占めることに着目して、レム睡眠は将来にそなえて行動のひな型をつくるプロセスであり、夢はその模擬演習だとみなす説もある。これとは逆に、レム睡眠はいわばできそこないの眠りで有害無益だという極論もある。いずれの説も、まだ科学的に十分解析が進んでおらず、実証されてはいない仮説である。』

【夢と心理学との結びつき】

 また、心理学者はどうでしょう。南博 著『心理学がわかる辞典』より。

〔夢はどうしてみるのか〕
 『みなさんは、今日見た夢を覚えているでしょうか?朝起きた時には覚えていたのに、気にしないとすぐ忘れてしまいます。よく思い出してみると、夢は毎日みているもののようで、中には現実と間違えてしまうほど生々しいこともあります。また、ТVアイドルに会えたり、空を飛べたり、支離滅裂で荒唐無稽であったりします。昔のことを鮮明に思い出しているように思えば、未来のことを暗示しているかのように思われることもあります。場所に関しても行ったことのない場所もあれば、行ったことのある場所、登場人物に関しても、知人であることもあれば、会ったこともない人やテレビで見ただけの人の時すらあります。なぜ、人はこのような夢を見るのでしょうか?
 フロイトによりますと、夢は無意識があらわれたものだとされます。ふつう無意識の世界は、意識の世界にあらわれないように自我によって抑圧されています。眠りに入ることによって、意識が低下し、このような自我活動が制限されます。それに伴って、押さえられていた無意識の中の願望などが、意識の世界へと侵入してくるのです。
 そのような無意識的なものが、意識の世界にそのまま出てきますと、超自我による禁止が行われ自我の不安が引き起こされるため、睡眠が妨害されることになってしまいます。そこで、睡眠を妨害しないように、検閲がおこなわれ、夢は加工され意識化される形になります。そのため、本来の夢の内容(潜在的夢思考)とはかけ離れたものとなってしまいます。このような加工された後の夢を、顕在夢と呼びます。フロイトは夢を分析することで、その人の無意識の世界を分析できるとし、夢は、「無意識に通じる王道」とまでいっています。』
 以上が、脳生理学者と心理学者の睡眠と夢に関しての研究のほんの一部ですが、睡眠と夢についてはまだまだわからないことが多いのが現実です。このように、夢を錯覚だとは断言できなくなると、意識の世界だと言ってもよいのではないでしょうか。
 フロイトのいう無意識の世界といっても所詮自分の意識のなかのことです。またユングは、無意識でもフロイトと違って、無意識は個人的無意識と普遍的無意識(集合的無意識)から成り立っているとしています。個人的無意識とは、個人の経験と関係のあるもので、普遍的無意識とは、個人の経験とは無関係なもので人類に共通な無意識と考えています。
 しかし、ユングのこの考え方でも、所詮自分の意識の中だということを忘れないでください。
 さて、冒頭に言いました、物質界の宇宙と意識界の宇宙という意味ですが、物質界の宇宙は説明するまでもなく、この世界のことです。ところが、いま説明しました夢の世界や無意識の世界を、意識界の宇宙と言えるものかどうかということです。

【物質の世界と反物質の世界】

 この物質界の字宙が、ある法則のもとに出来ているということは、すでに皆さんもご承知のことでしょう。そうすると、意識界の宇宙にも、物質界と関連して法則がはたらいていないとおかしいことになります。では、物理学の世界ではどのように説明しているでしょう。

〔陽電子理論〕(佐藤健二 監修『図解雑学量子力学』より)
 『量子論、量子力学に関する、ちょっと奇妙な学説や理論を紹介していこう。
 陽電子論というのがある。というよりも、陽電子というものが存在することが、理論的に予測され、事実、後に発見された。
 陽電子とは何か。1章で、電子がマイナスの電気を持って、プラスの電気を持った陽子のまわりを飛び回っている云々という話を紹介した。普通電子はマイナスの電気を持っているのだが、実はそれだけではなく、プラスの電気を持った電子というのが存在しているのである。これを理論的に考えだしたのは、前出のポール・ディラックという物理学者でディラック方程式という式のなかで、この陽電子の存在を予言している。ちなみに、ディラックがその方程式を提唱した時、26歳という若さだった。ハイゼンベルグにしろ、ディラックにしろ、天才的な物理学者というのは、20代にはもうすでに一流の学者になっているものなのかもしれない。
 それはさておき、このディラックの方程式というのは、量子論の世界に、アインシュタインの相対性理論からの影響を加味したような理論である。それはどういうことか。シュレディンガーの方程式というのを前に話した。これが量子力学の基本的な計算式であり、この計算式は微分方程式で、空間と時間とを扱っている。しかし、空間を微分する時には二階微分で、時間を微分する時は一階微分というふうに、空間と時間を区別して扱っている。これがディラックの感性を刺激した。
 というのは、この頃、すでにアインシュタインの相対性理論は物理学者の間には広がっており、相対性理論では、空間と時間とは対等である。対等に扱わなければいけないことになっている。ならば、このシュレディンガーの式も、空間と時間を対等に扱うべきである。そこでディラックはシュレディンガーの式を整理し、その上で電子のエネルギーを計算してみた。すると、なんと、その解には、マイナスとプラスのふたつの解があることが分かったのである。以下、ディラックの考えたことは説明するのが難解なので省くが、電子には、マイナスの電気を持ったものだけではなく、プラスの電気を持ったものも存在する可能性がある、とディラックは考えるに至ったのである。これは破天荒な考えである。
 プラスの電気を持った電子。これを反電子、もしくは陽電子という。電子と陽電子は、電気の符号が逆なだけで重さや寿命は同じ。このような物質を反物質という。
 マイナスの電気を持った電子の反対にプラスの電気を持った電子がある。あるいはプラスの電気を持った陽子の反対に、マイナスの電気をもった陽子がある。このように、われわれの生きている世界には、電気的にプラスマイナスが逆の物質すなわち反物質が存在する。この反物質が、この世界の物質と衝突すると、大爆発を起こす、というのがSFではよくある話です。
 あるいは、われわれ生きている世界と、一方でまるで同じようではあるが、反物質から成り立っている世界とがあります。この世界のあなたと、反物質の世界のあなたがいて、このふたりが出会った時に・・・というお話しもSFではありそうです。この、絵空事と思われているような反物質が、実は現実にも存在しているのです。ディラックが陽電子の存在を主張したのが、一九三〇年。その2年後、アメリカのアンダーソンという学者が、宇宙線(宇宙空間から地球に来る高エネルギーの放射線)のなかに、陽電子を発見し、ディラックの予言が正しかったことを証明することになる。
 なお、最新の宇宙論によると、宇宙の始まり(ビッグバン)の時に、われわれの世界の物質のほうが反物質よりもわずかだけ多かったために、現在の世界ができあがったのだとされている』以上のように、物理学者はこの物質の世界と対称して反物質の世界があるはずだといっているのです。しかし最新論では、宇宙の始まりの時に反物質の世界は消滅したといっています。果してそうでしょうか?

【反物質の水素合成に成功】

 1996年1月5日の朝日新聞朝刊と同年1月10日の夕刊には、つぎのような記事が載っていました。
 【「反原子」合成に初成功〔欧州の研究班「反世界」の研究に道〕】
 【反物質解明に一歩/「物質」と対のはず、なぜ偏り?/反物質が多い宇宙もある?】
 この記事のなかから、一部を抜粋して御紹介します。
 『宇宙線の中に反粒子が見つかることがあるが、宇宙にはほとんど普通の物質しか存在しない。宇宙が生まれたとき、物質と反物質が対になって生じたはずなのに、どうして偏っているのかが大きなナゾだ。実は、粒子と反粒子は性質が逆転した完全に対称なものではなく、わずかなずれがあるために物質のほうがわずかに多く生じ、出あって消滅した後、物質だけが余ったと考えられている。今回の成果は、原子と反物質の原子にわずかな違いがあるのかどうかを調べる端緒として期待されている。
 一方、東大理学部の佐藤勝彦教授は「たまたまわれわれの宇宙に普通の物質が多いだけで、反物質が多い反物質宇宙もあると考えることも出来る」という。全体としてみれば物質・反物質のバランスが取れていて対称的というわけだ。もし、そうだとしても、物質の宇宙と反物質の宇宙は境目で消滅するのではないかという疑問が残る』
 以上が記事の内容の一部です。まだまだ反物質世界の研究は入口のところなのです。これからの研究に期待が持てます。
 それにまた不思議なことに、アインシュタイン・ボーア・フリッチョフ・カブラ・ブライアン・ハイゼンベルグ・ジョセフソン等の一流の物理学者は東洋思想、東洋哲学というものを勉強しているのです。とくにデンマークのニールス・ボーアは晩年中国の易経の世界にはまっていたといわれています。ナイトの称号を得たとき、紋章に大極図を使用したり、自分の墓所に大梅園を飾っているのです。
 御存知のように大梅園とは宇宙を陰と陽にわけています。つまり、すべてのものは陰と陽からできているといっているのです。そうすると、この大極図の考えかたでは、物質の世界があれば、かならず反物質の世界が必然になってきます。このようなことからみても、この物質世界以外、反物質の世界を考えざるをえないと思います。この反物質の世界こそが、『意識の世界』つまり、俗にいうあの世の世界のことなのです。
 意識のエネルギーについても研究をする科学者が増えてきています。いつか、反物質の世界が意識の世界であると証明されることを期待しています。そのことによって、人間の魂は永遠なるものであることがわかり、科学の進歩も人間の心を中心にした発展をとげ、宗教も統一され、民族も平等であることがわかり、物質中心の世界から脱皮できることになるでしょう。
 次章ではこの意識の世界の構造について一緒に考えてみたいと思います。
  
  
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