第 二 十 二 章



神仏T   


【日本の宗教】

 神仏というと最近は、「宗教に勧誘されるのでは?」とか「マインドコントロールされるのでは?」と心配される方が多くなりました。それにまた「私は神仏の話は嫌いです」という方も多いのではないかと思います。ところがNHKの調査によりますと、「宗教は必要でない」と答えた人は2割にも満たないということです。ということは、ほとんどの人が宗教は必要だと思っているわけです。しかし、いずれかの宗教の信者だと答えた人はたった2〜3割だそうです。我々日本人は、宗教は大事だが、今の日本には良い宗教団体がないと思っているのだということでしょうか?
 では、日本の宗教団体は閑古鳥かといいますと、平成10年4月に発行された文化庁編『宗教年鑑・平成9年版』によりますと、日本の宗教人口は、二億七百七十五万八千七百七十四人となっているのです。これは日本の総人口をはるかに上回っている人口です。そして宗教法人は約十八万四千団体あると言われています。宗教法人になっていないところや宗教に類似したところを入れますと、どれくらいの数字になるでしょう。
 それにしても、信者だと答えた人がどうして2〜3割なのでしょう。これは、たぶん日本の歴史的伝統の氏子や檀家では信者だとは思っていないということなのでしょう。一般に信者だと答えるのは、新宗教や新々宗教と言われている団体の信者のことだと思います。それでも、それらの団体の信者数の発表の合計でも、調査の数字とはまだまだ大きくくいちがいがあります。
 その理由としては、NHKの調査の時、いずれかの宗教団体の信者であっても信者でないとうそを言ったのか、同じ人間がいくつも所属しているのか、教団の発表に水増しがあるのか、またはやめた人の数を引いていないのか、のいずれかということになります。
 どちらにしても、NHKの調査によれば、『国民は宗教の大事さは認めるが、今の宗教団体は認めていない』ということです。
 これはどうしてでしょう。たぶん宗教団体が多すぎて、勧誘競争がはげしくなり、教団を維持するのに多大な献金が必要となるため、人から敬遠されているのではないでしょうか。
 ところが、日本人ほど数々の宗教を生活に取り入れている民族も少ないと思います。子供が生まれたら、神社に参り、結婚式は教会で、死んだらお寺でお葬式をするといったように、知らないうちに3つの宗派に所属している方がいます。
 また、12月にはクリスマス(キリスト教)を祝い、その後お正月に神社に参るといったことや、夏にお盆(仏教)でお墓まいりをした後、夏祭りでおみこし(神道)をかつぐといったことを平気でやってしまいます。占いにいたっては、世界のあらゆる宗教にかかわっている方がいます
 このようにみると、日本人は宗派に関係なく、実に神仏の好きな民族だと思いませんか。ところが、「神仏を信じますか?」と質問すると、「さあ、よくわかりません」と答える方が多いのではないでしょうか。では「何を信じていますか?」と聞くと「御先祖様だけは大事にしています。また心から感謝しております」と答える先祖信仰の日本人が多いと思われます。
 このような風習になったのも、日本には神様があまりにも多いため【神】という概念がわからなくなってしまったような気がします。

【世界の3大宗教】

 外国をみるとどうでしょう。日本のいう【神様】と外国の【GOD】とは同じ概念なのでしょうか。
 これからは国際社会だと言われていますが、日本人はどの程度外国人の宗教や思想を理解しているのでしよう。
 外国での戦争の歴史は、ほとんどが宗教と民族の争いです。単一民族だと言われている日本では理解しがたいことではないでしょうか。私達はあらためて【神仏】についての概念を勉強する必要があると思われます。
 私は宗教学者でもありませんし、特定の宗教団体に所属しているものでもありませんので、自分なりに勉強してきたことを、自分なりの解釈で説明していきたいと思います。皆様の見解と違う点がありましたら、ご容赦して頂きたいと思います。
 まず始めに、『世界3大宗教』の説明をさせて頂きます。
 私達は、『世界3大宗教』と聞いたら何をあげるでしょう。「仏教とキリスト教と、あと一つなんだったかな?」と言われる方が以外に多いのではないでしょうか。これは、日本では仏教とキリスト教が、あまりにも有名なためでしょう。日本では、一般に世界3大宗教とは、『仏教・キリスト教・イスラム教』なのです。
 この【3大】とは何を理由にしているのでしょう。信者数だと、@キリスト教・Aイスラム教・Bヒンズー教・C仏教という順です。ではどうしてヒンズー教が入らないのかというと、インド半島にかぎられた宗教ということで、世界宗教ではないということでしょう。しかし、仏教といえど、東アジアや東南アジアの一部で信じられているに過ぎません。では、欧米の人は仏教を世界宗教と認めているのでしょうか?
 白人至上主義の欧米では、東アジアの宗教など地方宗教だと思っていることでしょう。実は世界からみた3大宗教とは、『ユダヤ教・キリスト教・イスラム教』なのです。
では、どうしてこの3つが世界3大宗教と言われるのでしょう。それにはまず、【聖書】というものを知る必要があるのです。聖書と聞くと私達はすぐに、キリスト教の教典だと思う方がいるでしょう。実は私もその一人だったのです。
 私が始めて聖書というものを手にしたのは、高校へ入学した時でした。前号でも言いましたように、私は高校・大学とミッションスクールに通っていたために、特に高校の時には聖書が必修科目だったので、いやでも聖書を読む機会が与えられました。
 しかし、その時は宗教には興味がなく、まして外国の神様というぐらいの考えしかなかったのです。

【人間はどうして戦争をするのか?】 

 私が心の勉強をしだしたころ、ちょうど昭和57、58年頃からですが、『人間はどうして戦争をするのか』という疑問を持ちました。それまでは「所詮人間というものは欲の深いものなので、戦争は自国の領土を増やすためだけだ」と思っていました。その考えは、私達が学校で日本史の時間に、戦国時代というものを習ってきた時に、領土争いが戦争だとうえつけられたものではないでしょうか。
 世界の戦争をみると、たしかに領土と利権がからんでいますが、その裏には民族と宗教の争いがあるのです。たとえば、イスラエルとアラブ諸国の争い(中東戦争)などは、典型的なものだといえるでしょう。私達は中東戦争がどうして起きたのか、またどうして現在までもイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間でくすぶり続けるいるのかをよく理解している人は少ないのではないでしょうか。
 その理由として、日本人はあまりに【聖書】というものにふれる機会が少なかったからでしょう。それに終戦後は日本復興のため日本人は無我夢中で働いてきたため、外国の戦争には関心のない人が多かったのではないかと思われます。
 私達はエルサレムと聞くと、まずイルラエルの首都だと思いつくでしょう。そしてユダヤ教も連想することでしょう。ところが、キリスト教やイスラム教の聖地でもあるのです。「キリスト教はうなずけても、イスラム教はメッカとメディナが聖地では?」と思っておられる方がいらっしゃるでしょうが、エルサレムもマホメット昇天の地で、イスラム教の聖地なのです。
 このように、エルサレムというひとつの町が、世界三大宗教のユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地になっているのです。これは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の発祥がすべて【旧約聖書】からきているということだからです。

【聖書とは?】

 聖書というものにあまり縁がなかった人のために、簡単に聖書というものの説明をしておきましょう。
 聖書は、大きく【旧約聖書】と【新約聖書】に分かれています。
 聖書が旧約と新約に分かれていることは、聞いたことがあっても、『きゅうやく・しんやく』を漢字でかくと、『旧訳・新訳』と誤解している人が以外に多いのではないですか。この【約】とは【契約】の意味なのです。つまり、『神と人間の契約』の書物だということです。
 そして、旧約はイエス・キリストが登場するまでの神と人間との約束にかかわる歴史の出来事なのです。新約は、もちろんイエス・キリストが登場してからですが、旧約聖書の神の約束がイエスをとうしてどのように実現したかを知らせています。
 旧約聖書は39冊の本から、新約聖書は27冊の本からなっています。
 旧約聖書の内訳は、律法の書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記のモーセ五書)・歴史の書・詩書・大預言書・小預言書からなっており、新約聖書は、福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)・歴史の書・パウロによる手紙・公同の手紙・預言の書からなっています。
 そしてこの旧約聖書の律法の書の一部が映画で有名な『天地創造』や『十戒』なのです。また新約聖書の福音書ではイエスの生涯と言行録が書かれてあり、あの有名なイエスの十字架が書かれています。
 ユダヤ教の聖典は旧約聖書(とくに律法の書)とタルムード(口伝律法集)です。またキリスト教は新約聖書が聖典です。そして、イスラム教は旧約聖書とコーランが聖典です。コーランとは唯一絶対の神『アラー』が預言者マホメットにお告げをしたものをまとめたものです。そのマホメットは旧約聖書に出てくるアブラハムが、エジプトの女ハガルに産ませた子、イシマエルの子孫だと言われています。そしてそのアブラハムの妻サラが産んだ子、イサクの子孫が継いだのがユダヤ教なのです。また、アブラハムの子、イサクの子孫ダビデの子孫がイエス・キリストなのです。それに、イスラム教で言う唯一絶対の神『アラー』のことを、ユダヤ教とキリスト教では、唯一絶対の神『ヤハウェ (エホバ)』と呼ぶのです。
 これで、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教がすべて旧約聖書から誕生したのだとわかって頂けたと思います。また、信徒数の少ないユダヤ教が世界三大宗教に入っている理由もうなずけると思います。
 さて、ここからが大切なところです。世界人口の半分以上を占めるユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒の人達は【神】という概念をどのようにもっているのかが重要なのです。
 日本人は神やら仏やらで、神に対する絶対的概念がないように思われます。日本の神様は八百万の神でたくさんいますし、御先祖様も大切に信仰しているため、お寺にも通います。そのために絶対的なものがないのでしょうか。しかし、いったん戦争が起きると『神国日本』になり、神風特攻隊として命まで捨ててしまう民族でもあるのです。つまり融通がきくということかもしれません。
 ところが、ユダヤ徒・キリスト教徒・イスラム教徒の人達の【神】に対する概念はどうでしょう。融通がきくのでしょうか。

【十戒】

 それには旧約聖書の中に出てくる神について勉強する必要があると思います。では、特に神の律法として有名な【十戒】を聖書の中から紹介してみましょう。
   
◇【十戒】
 『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプト地、奴隷の家から導き出した者である。』
 一、あなたはわたしのほかに、なにものをも,神としてはならない。
 二、あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるもの、どんな形をも追ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
 三、あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
 四、安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを追って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
 五、あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである。
 六、あなたは殺してはならない。
 七、あなたは姦淫してはならない。
 八、あなたは盗んではならない。
 九、あなたは隣人について、偽証してはならない。
 十、あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない。
 以上が、主がシナイ山でモーセに授けた十戒です。
 どうですか?日本人の考えている神の概念と、大きくへだたりがあるのではありませんか。主は『ねたむ神』だとも言っています。
 またつぎに、日本人には理解しがたいのが、キリスト教でいう【原罪】の概念です。旧約聖書では人類はすべてアダムとエバから発祥しているのです。そしてそのアダムとエバが神にそむいたため、我々は生まれながらに罪深いということになるのです。
 しかしキリスト教では、その罪をイエスが人類に代わって神の罰を一身にうけて、我々人間があがなわれたということになっているのです。キリスト教を知るにはこの原罪の概念を理解しなくてはならないでしょう。

【旧約聖書の創世記2〜3章】

 では、この原罪の部分を旧約聖書の創世記から抜粋してみます。
 『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。主なる神は、東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とを生えさせられた。
 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」・・・
 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、そのところを肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。・・・
 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も校滑であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。」
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰にまいた。・・・
 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸であったので、恐れて身を隠したのです」神は言われた「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」
 人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」そこで主なる神は女に言われた、「あなたはなんということをしたのです」女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。
 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女との間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」
 つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」
 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」・・・
 以上の部分を読まれて私達は罪深いと思うでしょうか?日本人の文化ではなかなか理解しがたいと思います。
 私達が世界平和を望み、世界の戦争がなくなり、世界の人々が幸せになるためには、世界の人々の【神】
という概念が同じにならないと難しいと思います。
 そのためにも私達は、あらゆる神の勉強をしていかなければならないと思います。
 次章も引き続き【神仏】についてお話ししていきます。
  
  
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