第 二 十 一 章



親子   


【生命誕生のなぞ】

 魂の形成は、自分と自分以外の関係において出来上がるものです。その魂の形成に最も重要な関係が親と子の関係です。
 親子関係については、今までに何度かお話ししてきましたが、最近とくに親子関係の悲惨な事件が新聞の三面記事で見かけるようになってきたため、改めて親と子の関係についてのテーマを取り上げてみました。世の中で親子で殺しあうほど悲惨なことはないでしょう。それに、兄弟・親戚・夫婦・友人どうしの殺人事件も同じです。
 ところが、縁の深い人どうしの殺人事件のほうが、残酷なことが多いのです。なぜなら、原因に憎しみや恨みや嫉妬の場合が多いからです。では、どうして身内どうしで憎みあったり、恨みあったりするのでしょう?またどうして最近、親子の問題が多くなってきたのでしよう?
 それには、『親と子の関係がどうしてあるのか』ということを知る必要があると思います。
 『親と子の関係がどうしてあるのか』といわれても、皆さんはあたりまえのことをいまさらどうして知る必要があるのかと思われるでしょう。
 自然界を見ても、どの生命にも親と子があります。種族保存をしていくためには、当然のことでしょう。ところが、生命の誕生の時を考えてみましょう。親がいなくて誕生したのでしょうか?
 科学者は生命の誕生についてどのように考えているのでしょう。
 教育社発行・竹内均編集のニュートン別冊「宇宙と生命」より、地球の誕生と生命の誕生について少し説明してみます。
            
◆『地球46億年の歴史』
 『今から46億年前、生まれたばかりの原始太陽のまわりにあった膨大な数の微生物が衝突・合体することにより原始地球が誕生しました。誕生直後の地球は熱いマグマの海におおわれています。微生物の衝突がおさまるにつれて冷えはじめ、薄い地殻が形成されました。さらに水蒸気と二酸化炭素からなる原始大気から大量の雨が降り注ぎ、海が誕生します。海の誕生により二酸化炭素は海にとけはじめ、空は青く晴れ上がったのです。
 35億〜25億年前の地球表面には小大陸が散在していたと考えられています。25億〜10億年前にはそれらの衝突・合体が進んで巨大大陸が誕生しました。このころ地表の温度は現在の温度に近づき、地球環境は安定期に入ったのです。その後大陸は離合集散をくりかえすようになり、2億5千方年前に超大陸パンゲアが形成されました。パンゲアは2億年前に分裂をはじめ、現在のような大陸分布になったのです。
 地球生命が誕生したのは35億年前のことです。海で誕生した原始生命は、はじめはゆっくりと、ある時期からは爆発的な進化をとげ、やがて陸上に進出しました。われわれ人類が登場したのは、長い地球の歴史からみればごく最近のことです。地球は46億年間、たえまない変化をつづけてきたのです。その活動は今もやむことはありません』
  
◆『生命誕生のなぞ』
 『私たちの体は遺伝子暗号で「DNA(デオキシリボ核酸)」上に書かれた情報に基づいてつくられています。この遺伝子暗号はすべての生物に共通で、アメーバも大腸菌も植物もヒトも、まったく同じ遺伝子暗号を用いています。このことは、生物が共通の祖先から進化してきたことを意味しているのです。では、地球上にみられる全生物の共通の祖先ともいえる最初の生命は、どのようにして生まれたのでしょうか。
 アメリカの化学者ハロルド・ユーリーとスタンリー・ミラーが、原始地球の環境を実験室で再現し、生命を構成する分子をつくろうと試みたのは40年ほど前のことでありました。フラスコの中に水と当時の大気成分であるアンモニア、メタン、水素を入れ、雷を摸して放電をつづけました。1週間後に生成物を分析してみると、ギ酸、酢酸、乳酸などの有機分子ができており、さらにおどろくべきことは、タンパク質を構成しているアミノ酸のグリシンとアラニン、そして量は少ないがグルタミン酸とアスパラギン醸ができていたのです。これにより自然現象で生命を構成する分子がつくられることがわかりました。しかし、それらの分子と生命がどのようにつながるかがわからないのです。物質と生命の間にはいまだに大きな溝が横たわっています。自然界の物質であるアミノ酸には、D体とL体の2種類があります。構成元素はまったく同じでその並び方もよく似ているが、重ね合わせることができず、鏡に映せばもう一方と同じになるのです。このような関係にある一方がD体でもう一方がL体です。D体とL体は一般の物理的・化学的性質は同じで、実験室でアミノ酸合成を行えば特別な操作をしないかぎり必ずDとLが同じ量だけできてきます。しかし生命が持つタンパク質は、実はL体のアミノ酸だけからできているのです。これはいったい何故なのだろうか。この不思議なかたよりに、生命誕生の謎をとく【かぎ】がかくされているのかも知れません』
 以上のように、生命誕生は科学者のあいだでも謎なのです。

【生命誕生は偶然?】

 現在地球上で知られる生物は約百四十万種でいまだ発見されていないものを含めれば、1千万から3千万種が生存すると考えられています。このような生命には、親がいるからこそ増えつづけることが可能なのだとわかりますが、生命の誕生は偶然がかさなったのでしょうか?
 筑波大学教授で、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功された、村上和雄先生はご自分の著書『生命の暗号』のなかでつぎのように説明しています。
 『木村資生さんという有名な遺伝学者がおります。木村さんはダーウィンの進化論に対し「中立的進化論」を唱えて世界的に名を知られた人なのですが、その木村さんによれば、「生き物が生まれるという確率は、一億円の宝くじに百万回連続で当たったのと同じくらいすごいことだ」といっておられます』
 また、村上先生は次のようにも言っています。
 『ヒトの遺伝子情報をよんでいて、不思議な気持ちにさせられることが少なくありません。
 これだけ精巧な生命の設計図を、いったいだれがどのようにして書いたのか。もし何の目的もなく自然にできあがったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。
 まさに奇跡というしかなく、人間業をはるかに超えている。そうなると、どうしても人間を超えた存在を想定しないわけにはいかない。そういう存在を私は「偉大なる何者か」という意味で10年くらい前からサムシング・グレートと呼んできました』
 というように、科学者は生命が偶然にできたとは考えられないと言っているのです。

【サムシング・グレートと神との違い】

 サムシング・グレートとは宗教でいうところの【神】のことだと思いますが、なぜ科学者は神と言わないのでしょう。たぶん宗教でいうところの【神】では、なにかイメージがあわなかったのではないでしょうか。
 私は学生時代、ミッションスクールに通っていましたので、聖書を学ぶ機会がありました。実はその時、疑問を持ったことがあったのです。それは、聖書の創世記を読んだときです。神が天地を創造し、人を創造するところまではよかったのですが、その後神が人に「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食ベてはならない。それを取って食べると死ぬであろう」と言われたところからです。
 それに対して、蛇は女をそそのかし、その木の実を食べることをすすめました。しかし女は「死んではいけないからと神は言われました」と蛇に言うと蛇は「あなたがたはけっして死ぬことはないでしょう。それを食べるとあなたがたの目が開け、神のように善悪を知るものとなることを、神は知っておられるのです」ときりかえしました。
 女はその実をとって食べ、また男にもあたえました。するとへびの言うとおりふたりの目は開け、自分たちが裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰にまきました。
 ところが、これを知った神はつぎのように言われます。
 『主なる神は蛇に言われた、おまえはこの事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう・・・』
 『つぎに女に言われた、わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む・・・』
 『さらに人に言われた、あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのために呪われ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る』

 以上の箇所を読んだとき、深い意味はあるのだとは思いますが、その時は「神とは、なんと怖い存在なのか」と思った記憶があります。
全てをつくった造物主が、『善悪を知る木』を造っておいて、それを食べてはいけないと言ったり、またそれを食べると罰を与えるということや、その実を食べると死ぬと言ったにもかかわらず、蛇が言ったことのほうが正しく、人は死なずに目が開けたことなど、その当時どうも合点がいかなかったのです。
 サムシング・グレートと神と少しイメージが違うのは、このように命令したり、罰を与えるところなのだと思います。

【もともと宇宙には生命があった】

 しかし村上先生は、生命の誕生は偶然ではなく【親】がいるのだと言っておられるのです。
 私たちは、卵がさきか、鶏がさきかを考えたことはないですか?偶然に生命が誕生したのだとすると、卵がさきだという考えになります。
 ところが親と子の関係では親としての生命がさきに生まれるはずです。すると、鶏がさきに誕生することになるはずです。とすると、またその鶏を誕生させる親がいることになってくるのです。
 別の言い方をすると、【無】から【有】は生まれないのです。これは物理の法則です。物理の法則ということは、宇宙の法則ということです。無から有は生まれないということは、逆に有から無にもならないということです。なぜなら、有から無になるのならこの宇宙の質量はどんどん減っていくということになるからです。結局、この世に【無】なんてはじめからないのです。
 このことを、生命の誕生にあてはめますと、『この世に生命があるということは、もともとこの世に生命があったということなのです。また生命には意志があります。するとこの世にはもともと意志があったということになるのです』
 
【人間と神は親子関係】

 この生命のことを『神』・『第一原因』・『道』・『無』・『カオス』等々いろんな呼び方をしているのです。ところが、さきほどの創世記にあるように、神が人間に命令をしたり、罰を与えたりするのなら、神は絶対の権力者のはずです。しかし、人間が人間以外から生まれたという話は、いまだかつて聞いたことがないでしょう。神が絶対権力者なら、人類の歴史のなかで、神が何度か人間を創造していてもよいはずです。神は人間が戦争しようが、公害を出して自然を破壊しようが、宇宙の法則を曲げても口出ししたことがないはずです。
 では、どうして聖書には神が人間に口出しをしているように書かれてあるのでしょう。
 それにはまず、創世記の第一章二十六節からをみてみましょう。『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地に従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。・・・』
 このように、聖書にも書かれてあるように、神と人間は『親と子』の関係を現しています。
そして創世記の第一章では神はすべての宇宙とその法則と生命を造り、あとは自分の分身である人間に全信頼をおいて、すべてをあたえています。これは、本来の『親と子』の関係を示しているのです。【親】という字は『立木で見る』と書きます。つまり、どっしりとかまえて手を出さずに、見守るだけだという意味の字ということになります。
 ところが、創世記の第二章から以降の聖書に出てくる神は、人間に命令をしたり、罰を与えたり、戒律を示したりしています。これは、人間の『親と子』の関係を現しているように思えます。

【どうして人間の親子ばかり争うのか】

 人は子供が生まれると、心血をそそいで育てますが、子供に躾をしていくためには、命令をしたり、罰をあたえたり、戒律を示したりしていきます。このように、親子関係の原型は、『神と人間』の関係にあるのです。また、兄弟の関係は、民族と民族の関係になります。
 すると、釈迦やキリストやモーセなどは、長男ということになるのでしょう。親の考えをよく理解して次男や三男にその考えを伝えていくのです。私達人類は戦争を繰り返していますが、実は兄弟げんかだといえます。そのときの親(神)の気持ちは計り知れないものだと思います。ましてや、親子で殺しあうなんて、どういう現象なのでしょう。
 これは、人間が神との関係を忘れてしまい、すべては神が決め、神がさばくといったような間違った解釈をしたため、他力信仰が主流になり、神が絶対的な力を持つことになって、人間は神にすがるといったことが、大きな原因になっています。なぜなら、絶対的な力を持つものにすがるということは、支配関係を意味します。支配社会では、権力闘争がつきものになってきます。神と人間の関係が支配関係ならば、当然人間同士も支配関係になってきます 親子でいうならば、親は子供に権力で支配するようになり、子供はそれに対抗するようになるのです。
 また、他力信仰を信じない人は無神論になり、個人の自由を主張しだします。
 その結果、「親はかってに結婚して子供を生んだのだから、育てるのはあたりまえだ」という考えになって、自分の意にそわない親を憎んだり、自分の思い通りにならない親には暴力をふるったりするのです。このような現象をなくすためにも、『神仏』についての意味をしっかり勉強していかなくてはならないでしょう。
 神仏の意味を正しく理解することによって、私たちは親子関係が正しく保たれると確信しております。そのため次回は『神仏』についてお話ししてみたいと思います。 
  
  
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