第 十 九 章



ゆるしU   


【身体と心は同じ構造をしている】

 前章では『心の三毒』の一つ【怒り】についてお話ししてきましたが、本章では【愚痴】について一緒に考えていきましょう。

【愚痴】とは、広辞苑によりますと、
 @理非の区別のつかないおろかさ
 A言っても仕方のないことを言って嘆くこと
 とあります。
 また仏教では、【無明】と言って真理に暗いことを言います。つまり【理】が大事だといっているのです。
 ここで前章で説明した「心のシステム」を復習してみましよう。
 心には『本能・感情・知性・理性』の分野があるということを説明しました。そして、生命力に大きな影響を与えているのが『感情の分野』だということも説明しました。なぜなら感情とは、外から入ってきたエネルギーが内なるエネルギーと反応し、『喜怒哀楽』という形を通して、エネルギーを外に吐き出している状態のことなのです。所謂、心の呼吸ということです。心の呼吸の乱れ(感情の乱れ)は生命力に影響を与えます。
 この心の呼吸の乱れをコントロールしているのが『理性の分野』なのです。
つまり、理性の分野は、悪いエネルギー(想念)を処理して、心を調和する機能を持っています。身体でいうと免疫機能を含むホメオシタシス(恒常性)になるわけです。そして感情の分野には、本能の分野が加わって生命力が強くなり、理性の分野には、知性の分野が加わって処理機能が高まるのだと言いました。
 人間の誕生を見ればそれがよくわかります。まず、生まれてすぐは、感情の分野が出ています。まさに感情は生命力だということがよくわかります。そのうち本能の分野が出て、生命力を増大していきます。そのまま大きくなってくると、動物のようになってしまいます。ここで人間には躾が大切になってくるのです。つまり、知性の分野を広げるのです。そしてはじめて理性の分野を活動さすのです。
 これを身体で説明しますと、生まれた時は心臓の鼓動や呼吸も早く、またよく母乳を飲み、よく排泄をし、いらないものは嘔吐、下痢で追い出すということになるのです。心で言うと感情の分野にあたるわけです。そのうち離乳食になり、あらゆるエネルギーに接していきます。そこで免疫機能が遺伝子という知性の分野によって、抗原に対する抗体をつくり出して身体を守ったり、また自立神経や内分泌腺により身体のホメオスタシスを高め、環境の変化に対応していきます。
このように、身体と心は同じ構造をしているのです。このことは、やがて医学でも解明されていくことでしょう。

【愚痴はどうして増えるのか?】

 さて、話を戻します。【愚痴】とは心のどのような状態なのかを説明していきましょう。
 前回の【怒り】の説明で言いましたように、怒りというエネルギーは理性で処理しないかぎり、堪忍袋の中に溜まっていきます。その堪忍袋の中に、悪いエネルギーが滞まってきますと、自然にこぼれだすようにして浄化作用が働きます。この状態が【愚痴】なのです。
 「なんだ愚痴は浄化作用なら、どんどん愚痴を言うほうがいいじゃないか」と思われるでしょうが、ところがそんなにわけにいかないのです。エネルギーには循環の法則が働いており、一度出ていったエネルギーはまた返ってくるのです。皆さんは、今までに愚痴を言ったことがあると思いますが、愚痴を言ったときは、気持ちがすーとしたでしょうが、その後、愚痴の回数が増えてきませんでしたか?このように、愚痴には愚痴のエネルギーが集まってきて、ふくれあがってくるのです。ちょうど、堪忍袋の中の悪いエネルギーに栄養を与えて育てているようなものです。
 それと、愚痴を聞いていると、疲れてきたことがありませんか?愚痴を聞いていて疲れるということは、愚痴を言っている人から悪いエネルギーが出ているという証拠なのです。そのうち聞いている人から「いやだなあ」というエネルギーが愚痴をいっている人に返っていくのです。それにまた、愚痴には愚痴のエネルギーを呼び込み、相手から愚痴を誘い出すことが多いのです。すると、お互いに愚痴のエネルギーを出し合って、お互いに愚痴のエネルギーを吸い込むのです。
 そして、本人は気づかずに、またどこかに行って「だれだれは愚痴っぼい」と愚痴を言いに行くということになるわけです。
 
【不調和は「偽・悪・醜」】 

 ここで大事なことを思い出してください。悪いエネルギーを処理するのに必要なエネルギーは【愛】でした。ところが怒りや愚痴には、愛のエネルギーが一切含まれていないのです。
 【愛】とは、一つになろうとする調和のエネルギーのことです。ゆえに調和とは、『真・善・美』のことをいうのです。すると、愚痴には『真・善・美』が一切入っていないということになります。つまり、不調和ということで、不調和とは、調和の逆で『偽・悪・醜』のことになります。
 さきほど、身体と心は同じ構造だと言いました。では、愚痴を言い続けていると、あなたの身体は『偽・悪・醜』になっていくはずです。
 【偽】とは自然ではないことなので、身体では病気のことになり、【悪】とはそこに本来の姿が現れていないことなので、身体では自然治癒力等の機能が弱ってくることになり、【醜】とは文字通り身体が醜くなってくることです。「愚痴を言うぐらい、人の勝手でしょ」と思われるでしょうが、愚痴ばかりを言っていると、このように治る見込みのない病気になって醜くなるのです。あなたにとっては、マイナスのことばかりではないですか。
 それでも、「この世の中を生きていると、愚痴のひとつやふたつ出ても仕方無いでしょう。愚痴を言うのは死ぬまで治りません」と思われる方がいらっしゃるでしょうが、死んでからも、愚痴の世界はあるのです。この愚痴の世界のことを、意識の世界(本書九章、意識Cを参照)では『地獄界』と呼ぶのです。所謂『地獄界』とは【愛】のエネルギーの一切ない世界のことなのです。
 この世界に行ってしまうと、なかなか抜け出すことが難しいのです。なぜなら、周りの霊も愚痴ばかりなので、周りから気付かせてもらえることがないため、この世の時間で何十年、何百年とその世界にいることがあるのです。結局、自分自身で気付くまで誰も助けてくれないと言うことです。
 これでは、「愚痴を言うぐらい・・・」と軽んじるわけにはいきません。怒りの場合は、悪いエネルギーをいっきに溜め込み、それをいっきに吐き出そうとするため、身体にかかる負担が大きくなり、本人にとってはマイナスなのだということがはっきりとわかります。
 そのため【ゆるし】に入って楽になろうと努力するのですが、愚痴は悪いエネルギーが徐々に外に漏れていることなので、身体にかかる負担が少ないため、本人があまり改めようとしないのです。
 そのため、知らず知らずのうちに身体が悪くなることが多いのです。

【愛のエネルギーには浄化作用がある】

 愚痴をなくすには、冒頭に言いましたように、真理(心理と物理を合わせた神理のこと)をよく理解して、感情の奥深いところから愛のエネルギーを溢れ出さすのです。よく、人が愚痴を言い出したら、相手にせず離れていく人がいます。これは、人から毒を食べさされることを思えば賢明なことだと言えます。そして、愚痴を言っている本人も、そのうち相手にしてくれる人がいなくなり、自分を見つめるチャンスが訪れるのです。
 ところが、真理を理解してくると、相手が愚痴を言っても、【愛】のエネルギーでその愚痴を浄化することが出来るのです。【愛】のエネルギーには、全てのものを浄化する作用があるのです。たとえば、自分の食べ物に知らない人の唾液が入ったら、汚いと感じるのに、愛している人の唾液が入っても汚いと感じないのです。このように、愛の力は素晴らしいのです。
 また愚痴とは、まるで麻薬のようなものだと言えます。なぜなら、愚痴を言っているときは、気持ちが「すー」とするのですが、少しずつ心と身体を蝕んでいくからです。そして愚痴の中毒になってしまったら、真理の話やカウンセリングをおこなっても、なかなか自分で浄化できないのです。
 この時に力を発揮するのが、愛のエネルギーです。
 自分の身内や知り合いに愚痴の多い人がいたら、それは愛のエネルギーの足りない信号だと思ってあげて下さい。心の三毒の『怒り・愚痴・足ることを知らぬ欲望』には愛のエネルギーが一切含まれていないのです。
 ところが、三毒の中の『怒り』と『足ることを知らぬ欲望』というのは、心の呼吸の両極端の状態なのです。つまり、『怒り』は心を固く締めて、一気に吐き出している状態で、『足ることを知らぬ欲望』は心を開きっばなしで、限りなく吸い込んで苦しくなる状態なのです。
 そのため、まわりの人に注意をされたり、自分自身で気づいて反省に入れるチャンスがあるのですが、『愚痴』になりますと、不整脈のように心の呼吸が中途半端なため、まわりの人もそれほど注意しませんし、本人も悪いことだという自覚がないのです。

【愚痴を言う人は嫌われ者】

 よく世間では、このような人がいます。「あんなに真面目で信心深い人なのに、どうしてよく病気をするのかしら?」とか「あんなにおとなしくて遠慮深い人なのに、どうして人から慕われないのでしょう?」このような時、人は「病気をするのは体質だ」とか「人から慕われないのは性格だ」等と言うことが多いのですが、もともと病気をする体質などないのです。仮に虚弱体質で生まれたとしても、努力しだいで元気な身体に克服できるのです。
 有名なスポーツ選手の中には、生まれた時は未熟児であったり、子供の時は身体が弱かったりした人がいるのだと聞いたことがあるでしょう。また、もともと慕われない性格などもないのです。
 おとなしくて、遠慮深くても、たまに話すと愚痴しかでない人がいます。人の面倒はよく見るが、愚痴っぼい人がいます。このような人は、別に人に危害を加えているわけではないのですが、人からは好かれないのです。
 このように、愚痴は知らず知らずのうちに毒をまきちらしているのです。それに、主婦が愚痴を言いながら食事を作っていると、家族に毒を食べさせていることになるのです。愚痴の多い家庭は雰囲気が暗くて、よく病人がでるのはこのような理由なのです。
 外食より家の食事のほうが美味しいと言う人は、家で食事をつくる人に愛情があるという証拠です。また、よくはやっている安くて美味しいという店は、かならずといっていいほどつくっている人が愛情をこめているのです。
 愚痴は、とくに妊娠中には禁物です。妊娠中に愚痴っぼいと胎児に毒を食べさせているのと同じだからです。生まれてきて五体満足であっても、やがてある時期に食べさせた愚痴が子供の口からかえってくるのです。これが反抗期です。よく心理学で、第一反抗期や第二反抗期等と言いますが、人間の魂にはもともと反抗期等というものはないのです。妊娠中に夫婦が調和していて、夫婦の心に歪みのない場合は、子供の反抗期らしきものは殆どないのです。
 ところが、自分の意見をはっきりと言う子供と、親の言うことにすぐ反抗するのとは別なのだと知っておかないと、自分の意見をはっきりと言う子供の長所を押さえつけることになる場合があるので注意してください。このときは愛情をもって見てやると、反抗か反抗でないかがよくわかります。
 しかし、世の中には、「私は妊娠中から、愚痴や恨み言も言わずに夫や姑に仕えて頑張ってきたのに、どうして子供にまで苦しめられるのでしょう」というかたがいます。
 ここで気をつけて頂きたいのは、愚痴とは言葉に出して言うことだけが愚痴ではないということです。心で思っていることが重要なのです。
 よく、『我慢する』ということは素晴らしいことだと思っているかたがいらっしゃいますが、【我慢】とはすでに心に悪いエネルギーを詰め込んでいることになるのです。
 そのエネルギーが徐々に溢れ出していることが愚痴なので、妊娠中は子供に直接影響があるのです。
 言葉に出すのは、その悪いエネルギーが声帯から出る声に乗っていくことにすぎないのです。そのため、苦から日本では『言霊』と言ったのです。
 日本では【我慢】をして口に出さないことが美化されたため、歳がいってから愚痴っぼくなる人が多いのです。
 
【愚痴をなくすには真理を知ること】

 『怒り』や『足ることを知らぬ欲望』のエネルギーがいっぱい心に詰まってきて、そのエネルギーが溢れ出すことが愚痴だと言い、その心に詰まったエネルギーは自分の身体や魂をボロボロにしていくのだと言いました。まさに、これほど自分をいじめて粗末にしている行為はないでしょう。一刻も早く愚痴の原因を取り除かなければなりません。
その原因を取り除くには、理性の分野が必要なのですが、理性の分野を働かすには、知性の分野に「真理」という知識が必要だということです。
 真理とは、
『質量不変の法則』
『原因と結果の法則』
『作用反作用・動反動の法則』
『循環の法則』
『慣性の法則』
『波長共鳴の法則』
 が物理にも心理にも働いていることを知ることなのです。つまり、『法』を知ることです。なぜなら、『質量不変の法則』を知らないと、変化している世の中でも、実は元は変わっていないのだ、つまり、いくら愚痴を言っても変わらないものは変わらないのだということに気づかないからです。
 『原因と結果の法則』を知らないと、今持っている愚痴のエネルギーの原因を見つけられないからです。『作用反作用・動反動の法則』を知らないと、人に与えた愚痴の毒は自分にも毒だということに気付かないからです。
 『循環の法則』を知らないと、吐いた愚痴は必ず返ってくるのだということに気付かないからです。
『慣性の法則』を知らないと、一度愚痴を言い出したら、癖がついてなかなか愚痴をやめにくくなり、死んでも愚痴の世界へ行くのだということに気付かないからです。
 『波長共鳴の法則』を知らないと、愚痴を言い出すと愚痴の言う人ばかりが集まってくるということに気付かないからです。
 このように、宇宙の本当の【理】を知らないと、愚痴の原因を取り除くことは難しいのです。
 「なぜこの世に生まれてきたのか?」「人生の目的はなんなのか?」「自分はなにものなのか?」と、このような疑問を追究していかない人生なんて無価値なものだと思いませんか?
 人生の価値を見出し、心のやすらぎを得ていこうではありませんか。
 愚痴を言っていたのでは、人生の価値を見出し、心のやすらぎを得ることなどは永遠に出来ないのです。私達はまず愚痴のない人生を目指したいものです。

 次回は心の三毒の三つ目の『足ることを知らぬ欲望』についてお話ししていきます。    
  
  
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