第 十 八 章



ゆるしT   


【人をゆるすとはどんな意味?】

 私達は日常、人をゆるしたりゆるさなかったりするということがよくあります。
 ところが、『ゆるす』という言葉にはどんな意味があるのかというと、それはもともと『固く締められているものをゆるくする』という意味があるのです。
 それでは、私達が「あの人だけは、絶対ゆるさない」とか「このことだけは、絶対ゆるさない」等と言っていることは、なにかを固く締めているということになります。なにかとは、当然『気持ち・心』のことでしょう。そうすると、『ゆるさない』とか『ゆるす』とは、心を固く締めるとか心をゆるくするという意味になるわけです。心を固く締めるということは、『心に受け入れない』ということであり、心をゆるくするということは、『心に受け入れる』ということでしょう。つまり、『認める』 『認めない』ということになってくるのです。
 このように考えると、世の中には心に受け入れられるものと、受け入れられないものとがあるはずです。ところが、最近本屋さんにならんでいる精神関係の本には、よく次のようなことが書かれています。「あなたが人をゆるさない限り、あなたが苦しいのです。あなたはまず人をゆるすことから始めなさい」、また聖書にも次のように書いてあります。「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください」
 たしかに、ある人やある事をゆるさないままで生活していると、苦しむのは自分です。しかし、誰にでも何事にでも、ゆるしっぱなしで生活をしていて、果たして生活が安定していくのでしょうか。たとえば、子供が間違ったことをしていても、すべてゆるすのでしょうか。また、世の中に悪影響を与えていくようなことがあっても、それをゆるしていていいのでしょうか。
 ではなぜ、あらゆる精神の指導書に『ゆるし』が大事だとかいてあるのでしょう。

【心の三毒】

 ここで私達の『心の毒』と言われる三つを説明しましょう。
一つ目は【怒り】、二つ目は【愚痴】、三つ目は【足ることを知らぬ欲望】です。
 これを仏教で『貪・瞋(シン)・痴』というのです。
 では、一つ目の「怒り」という状態は、どのような心の状態をいうのかを説明していきましょう。私達の心とは、日常いろいろな出来事に遭遇して、あるものは受入れたり、あるものは受け入れなかったり、つまり心を『締めたり』 『ゆるめたり』しながら、呼吸をしているのです。ところが、大きく自分の意に添わないことが起こると、心のリズムが狂い、いったん受入れたエネルギーを吐き出すことが出来ずに、そのままガッチリと心を締めつけて、そのエネルギーを放さない状態になることがあるのです。つまり、痙攣しているようなものです。そうすると、身体の中に入ったエネルギーは自分の意に添わないものですから、身体のホメオスタシス(恒常性)が働いてそのエネルギーを追い出そうとします。そのため、アドレナリンやノル・アドレナリン等が分泌され、心臓を激しく打ち、神経を高ぶらせ、気血が激しく動きだします。その結果、皆さんご承知のとおり、肩をいからせ、大声になり、顔が真っ赤になり、震え出してきます。この状態を【怒り】と言います。
 これは相手に対して怒りをぶつけているように見えますが、身体の意識はこれらのエネルギーを吐き出そうとして必死なのです。この状態を長く続けていると、病気になったり、ひどいときは死に至ることもあります。身体を守っているホメオスタシス(恒常性)が逆に病気を引き起こしたり、死にいたらせるのはなにか皮肉なものではありませんか。これでは身体の意識といってもあまり大した意識ではないように思えます。生命の神秘とは、こんな簡単なものでしょうか?そうではないはずです。では、なんのために病気になるまで、また死に至るまで意に添わないエネルギーを吐き出そうとするのでしょう。
 実は、身体より大事なものを守っているとしたらどうでしょう。
 それが【魂】なのです。所謂【心】です。自分の意に添わないエネルギーを長く持っていると、自分の魂に傷を付けてしまうのです。この傷を【業】といい、自分の運命まで悪くしていくのです。
 身体は、それこそ我身を犠牲にしてまで、【魂】を守っているのです。
 このように、【怒り】という感情をながく続けるということは、自分にとってこの上なく危険なことだと言えるのです。しかし、「どのような怒りでも、時間がたてば鎮まるのではないですか」と思われる方が多いでしょう。たしかに時間が解決したように見えますが、実は解決はしていないのです。その怒りは堪忍袋に鎮まっただけで、同じようなことが起こると、とたんに暴れ出します。
 そして堪忍袋が満杯になってきたら、ちょっとしたことで怒りやすくなったり、いつもイライラしたりするのです。ではどうしたらこの感情を吐き出せるのかと言えば、この方法が『ゆるし』なのです。心を固く締めつけている以上、ゆるめなければ吐き出せないのです。『ゆるし』の方法に必要なエネルギーが前回お話しした【愛】なのです。
 ひとくちに愛があればゆるせると言っても、実際にはかなり難しいものです。
  

【心のシステム】

 『ゆるしかた』の方法を説明するためには、まず心のシステムを説明していきます。
 心の領域の中で、最も生命活動に関与しているのが、感情の分野です。そしてこの感情の分野をコントロールしているのが、理性の分野なのです。感情の分野と本能の分野が手を結んで大きくなると、動物的な人間になり、また、理性の分野が知性の分野と手を結んで大きくなると、冷たい機械のような人間になってくるのです。このように、理性と感情は『陰陽』の関係にあり、お互いのバランスを計っているのです。
 理性の分野では、心の中に侵入してきた、意に添わないエネルギーを処理する機能を持っているのです。つまり、いやなことを言われても聞き流せたり、いやな目にあっても耐え忍ぶことができる力を持っているのです。身体で言うと、『免疫機能を含むホメオスタシスの向上』と同じことなのです。
 感情の分野では、意に添わないエネルギーを吐き出す能力を持っているのです。大声を出したり、身体のエネルギーを激しく震わせて吐き出すのです。身体で言うと、『嘔吐や下痢』のことです。理性的な人がいったん怒ると止まらなかったりするのは、沈んでいた感情の分野が反動で大きくなるためで、また感情的な人が激しく怒っても、後はけろりとしていたりすることがあるのは、エネルギーを吐き出したあと理性の分野が出てくるからです。
 『ゆるし』とはこの理性と感情の両方を使って、自分の意に添わないエネルギーをきれいに浄化して、そして心をゆるめて静かに吐きしてゆくことなのです。
 怒りを持ったときは、感情の分野が広がっています。そのために理性があまり働かないため、処理機能が弱ってきます。このような時は、感情を静めるため腹式呼吸を行っていきます。すると気は丹田に落ち、感情の分野と理性の分野のバランスが整ってきます。
 そこで最初に理性の分野を強く働かせて、怒りの原因を見ていきます。原因が見つかったら、強い意志力を使ってその原因を改めます。改まれば、今度は感情の分野を使って改まったことを感謝していきます。自分の心が一つ向上したのは、怒りを持ったあの人のお蔭なのだと感じていくのです。
 すると心はゆるんで柔らかくなり、心の呼吸が正常に戻り、悪いエネルギーは吐き出されてゆくのです。そして『ゆるし』が完成するのです。
 理性の分野の機能を高めるには、知性の分野が必要になってくるのです。心の法則や物質の法則等をよく勉強し、知性の分野を高めてから、理性を働かせてください。
 そしてこの理性と知性の分野を働かすための原動力のエネルギーが、【愛】のエネルギーなのです(本書十四・十七章を参考にしてください)
 感情の分野には、本能の分野が大事になってきます。生命を維持していくことによって、感情を豊かにします。そしてまた、この感情と本能の分野を働かす時にも、【愛】のエネルギーが必要になってくるのです。つまり、心の機能は『本能・感情・知性・理性』の分野を【愛】というエネルギーで調和して、『意志』という分野につなげてゆくのです。
 私達はよく【怒る】と【しかる】を同じような意味に使っていますが、怒るとしかるではまったく違う感情なのです。怒るには【愛】がなく、自分の立場だけのことで出る感情です。また、しかるには相手のことを思いやった【愛】があるのです。このように、【愛】があると身体はそのエネルギーを無理やり吐き出そうとせず、気血が上がったりしないのです。
 ではどうして、私達は怒りを持ってしまうのでしょう?怒りを持ってしまうには、必ず原因があるはずです。怒りの原因を見つけていくことはとても大切なことですが、その怒りの原因がどこにあるのかを知ることは、もっと大切なことなのです。
 
【怒りの原因はどこにあるのか?】

 毒気のあるいやな言葉をかけられたとき、すぐに怒る人と怒らない人がいます。ということは、人によっては同じエネルギーを受けても、反応が違うということになります。
 すぐに反応するということは、もともとその言葉に反応するエネルギーが、その人の中にあったということになるのです。たとえば、いつもおっとりとして、なにをするにも人より遅い人が、「あわてもの!」と言われても、怒る人は少ないでしょう。ところが、普段からあわてもので、よく失敗をしている人に「あわてもの!」と言うと人は怒るのです。これは、自分の心の中に『あわてものと言われたくない』という心のエネルギーがあるからなのです。そのエネルギーが外からのエネルギーに反応するのです。エネルギーには、同波長の法則があります。つまり、同じ種類の波長しか反応しないという意味です。この逆が、『馬の耳に念仏』とか『のれんに腕押し』ということです。怒りやすい人とは、『好き嫌いの激しい人』『正義感の強い人』『劣等感の強い人』『愛情不足の人』『不安・恐怖の多い人』等ですが、これらの人は、すでに心の中にこのようなエネルギーを持っているのです。
 好き嫌いの激しい人は、嫌いなことを見たり聞いたりすると、自分の中のエネルギーに反応するのです。正義感の強い人は、悪に対する反発が強いため、悪を見たり聞いたりすると反応するのです。劣等感の強い人は、劣等感に触れると反応するのです。愛情不足の人は、自分に対して愛情の無いことを見たり聞いたりすると反応するのです。不安・恐怖のある人は、自分に不安・恐怖を与えられることを見たり聞いたりすると反応するのです。
 このように、怒りの原因は自分の中にあるのです。この原因を溜めているところが、さきほど言った「堪忍袋」なのです。私達は堪忍袋の中を、愛というエネルギーで浄化していかなくてはなりません。なぜなら、ストレスの多い世の中をこのまま生きていれば、知らず知らずのうちにどんどん怒りやすくなってゆくからです。最近の若い人が、ちょっとしたことで「きれる」とか「むかつく」などという言葉をよく使うのは、堪忍袋の中に悪いエネルギーがたくさん溜まっているということなのです。学校の教育でも、前回お話しした【愛】ということについての教育がなくなったため、物に対する知性は身についていますが、心の愛にたいする知性が貧困になってきています。すると、知性が貧困なため理性の処理機能が低下し、感情の分野だけが発達するということになり、「きれる」といった激情型の人が多くなるのです。ところが世の中には、時々堪忍袋の大きい人がいます。このような人は、一見温厚そうに見えますが、堪忍袋の中にエネルギーを沈めているだけなのです。これを『がまん』と言います。がまんはいつか必ずエネルギーが吹き出してくるのです。
 堪忍袋の中を綺麗にし、処理機能を高めると、悪いエネルギーがきても反応せず聞き流せるのです。これを『忍辱』と言うのです。私達が『怒り』という感情をいだいてしまうのは、相手のせいだとばかり思っていたはずです。ところが、このように見てゆきますと、怒りの原因はすべて自分の中にあるのです。私達は、怒りの原因が『自分ではなく相手にあるのだ』と思い違いをしていたために、このような世の中では怒りやすくなるのは当たり前だと思ってしまったのです。
 心身の健康を望むのなら、自分の心の中の怒りの原因をまず無くしていくことです。

【うらみのエネルギー】

 怒りというエネルギーが身体の中にながく留まっていると、【うらみ】というエネルギーに変わっていくのです。怒りのエネルギーが【うらみ】のエネルギーに変わってしまったら、こびりついた垢のようになってしまうため、少しぐらいの努力では浄化できなくなってしまいます。そのため、死後までうらみを引きずっていくのです。
 皆さんは、怪談映画を見たり、おばけ屋敷へ行ったことがあるでしょう。そのときの幽霊のきまり文句は、「うらめしやー」ではないですか。幽霊はそのうらみが晴れるまで、その場所やその人に留まり、うらみが晴れないとそこに何百年と留まることがあるのです。それで、幽霊のことを『地縛霊・地獄霊・悪霊』等と呼ぶのです。
 苦からうらみを晴らすのは、仕返しをすることだと思われていますが、仕返しには、【さかうらみ】というものがあり、うらみを晴らしたつもりでも、うらみ返されてしまい、うらみは輪廻していき晴れることはないのです。
うらみを晴らすということは、自分の心の問題だということに気づかないかぎり、うらみは晴れないのです。うらみを晴らすには、唯一『ゆるし』しかないということです。
 以上のようにちょっとした『怒り』から大変なことになってきます。私達は理性と感情を上手に働かせて、怒りの原因をなくしていかなければなりません。怒りのエネルギーは心身を壊していくだけでなく、地球をも破壊していくのです。
 さて心の三毒のあと二つ、『愚痴』と『足ることを知らぬ欲望』についても、人間にとってはとても危険なものです。次章は二つのうちの『愚痴』をお話ししていきます。    
  
  
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