第 十 六 章



平 等   


【宇宙はすべて不平等】

 前回お話しした【自由】と同じように大切で、またよく使われている【平等】という言葉について、皆さんといっしょに勉強していきましょう。
 私達はよく「人間は皆平等だ」とか「男と女は平等だ」とか、また「私達は差別意識をなくして、みな人間は平等であらねばならない」とか言います。さて、【平等】という言葉の意味を広辞苑で調べてみましょう。「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」とあるのですが、ここでよく考えてみてください。この宇宙の全てのものを見ても、かたよりや差別がなく、一様で等しいでしょうか?太陽、地球、月、それぞれの大きさも重力もまったく違いますし、まして人間になりますと、体重や身長どころか、性格や能力にいたるまでまちまちなのが現状です。男女になりますと、あきらかに差が顕著にあらわれます。『筋力の差』『運動能力の差』『理性と感情のコントロールの差』『性ホルモンの差』等々あげたらキリが無いくらいです。
 また、民族の違いは千差万別で、民族の数についても、研究者によってまちまちです。言語、血縁、宗教、文化、皮膚の色等、どれを見ても一様で等しくありません。それに世界の戦争のほとんどが、宗教戦争と民族戦争です。
 これほど人間は不平等で差別があるのに、なぜ平等を唱え差別意識をなくそうとするのでしょうか?
「それは、人間は全て、神の前では平等なのだからです」と宗教家の声が聞こえてきそうです。しかし、その宗教家自身が、他の宗教に差別意識を持ち、御本尊である神そのものが千差万別であるということはどういうことでしよう。
 たとえば、自由の象徴の国『アメリカ』を見てみましょう。「人民の人民による人民のための政治」とリンカーンの言葉にもあるように、民主主義の理念の国のはずです。多民族国家でも民主主義のアメリカでは差別はないはずですが、実際はWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)と呼ばれる人達がアメリカ人の主流になっています。そのWASPの重要な価値観は平等思想です。ところが皮肉なことにKKK(クー・クラックス・クラン)という団体では、里サ人・カトリック・ユダヤといった白いプロテスタント以外の人々を襲撃するという問題が起こっています。
 また一方、平等の象徴の国であった『ソビエト連邦』は崩壊しました。現在も平等を理念にした共産主義国家が崩壊しつあるのはどうしてでしょう。
 やはり、なにか平等に対する考え方が、間違っているのではないでしょうか。


【崩壊の原理】

 ではここで、【平等】という意味をあらためて見ていきましょう。
 前にお話しした、『宇宙の全てのものには【相対】と【絶対】がある』ということを思い出してください。【相対】とは『変化するもの』、【絶対】とは『変化しないもの』という意味です。たとえば、あなたの身体の細胞は毎日変化しますが(相対)、あなたは死ぬまであなたです(絶対)。また宇宙は日々変化しますが(相対)、法則は不変です(絶対)。このように、全てのものには、絶対と相対宇宙は日々変化しますが(相対)、法則は不変です(絶対)。このように、全てのものには、絶対と相対があるのです。(詳しくは、十二章を参照してください)この『変化するもの』と『変化しないもの』にはとても大切な関係があるのです。それは【主従関係】で、これを間違うと大変危険な方向へいくのです。
 では、【主】がどちらで【従】はどちらでしょうか?
 たとえば、世界の食事を見れば、どの国にでも主食と副食があるはずです。日本では主食が米ですが、アメリカではパンです。さて、どちらが『変化するもの』でどちらが『変化しないもの』でしょう。もうおわかりでしょうが、主食は変化せず、副食は変化するものです。また、会社でも【主】である社長は変化しませんが、社員である【従】は役職や責任が変化してきます。
 電車に乗ってみましょう。【主】である運転手からみる前方の景色は、目的地が見えるため、あまり変化しませんが、【従】である客席の窓から見る横の景色は、ころころ変化します。親子関係でみても、【主】たる親は二人で変化しませんが、【従】たる子は、人数が変化します。
機織りをみても、【主】たる縦糸が切れるとだめですが、【従】たる横糸が切れても大丈夫なのです。


【主従関係の法則】

 このように、あらゆるものに『変化するもの』と『変化しないもの』がありますが、【主従関係】を間違うと大変なことになるのです。電車の運転手が横の景色にとらわれていたら、電車は事故を起こしますし、親子関係で、親がころころ変われば、家庭は崩壊します。織物も縦糸がだめになると、織物もだめになります。つまり、大変なこととは、主従を間違うと、『その関係が崩壊する』という意味です。
 では、平等の象徴である社会主義国家のソビエト連邦が、なぜ崩壊したのかを見れば、答えがでるはずです。共産主義とは、私有財産制の否定と共有財産制の実現によって、貧富の差をなくそうとする平等思想ですが、物質という『変化するもの』を【主】にして、国民の心の自由である『変化しないもの』を【従】にしています。その結果の崩壊だといえます。
 では、資本主義はどうでしょう。文字通り、変化する物質が【主】です。ましてや、最近では、【おあし】といって変化する代表の【お金】が【主】になっている【金融経済】です。日本のバブル崩壊で、『変化するもの』が【主】になるとどうなるのかが、よくわかったと思います。このままでは、アメリカの経済もどうなるのかは、火を見るよりも明らかです。このように、主従を間違うと崩壊するのです。
 この真理を昔の日本人はよく知っていたのでしょう。
 京都などにいきますと、古くて小さなお店で、よく流行っているたべもの屋さんがありますが、品切れになりますとすぐにお店を閉めてしまいます。このようなお店の主人は、かならずといっていいほど「親の遺言で店を広げるなと言われているのです」と言うのです。では親はなんの目的で「店をひろげるな」と言ったのでしょう。それは、子供がなんの目的で商売をしているのか、ということを重要視したのです。つまり、お金儲けを主体にして商売をするのか、味を守ることを主体にして商売をするのかということです。当然、味は変化させてはいけないものです。【主】たるものを味にもってこないと店がつぶれるのです。変化するお金儲けを主体にして店を広げたり、機械化にして人件費を節約したりしますと、かならずといっていいほど味に微妙な変化がでるのでしょう。その結果【主】【従】が逆になり、店がつぶれるのだということを親は知っていたため、「店を広げるな」という一言で、代々遺言で伝えていったのだと思われます。
 以上のように、宇宙の全てのもののなかでは、『変化しないもの』を【主】にして『変化するもの』を【従】にして生きていくことが真理なのです。


【平等とは変化しないもの】

 さて話しを平等に戻しますと、「人間は皆平等だ」とか「男女は平等だ」と言われる平等とは何をもって平等だと言うのでしょう。もうおわかりだと思いますが、『変化するもの』は不平等で、『変化しないもの』において平等なのです。男女で説明してみましょう。まず男女という関係において、『変化するもの』と『変化しないもの』をあげていきます。

『変化しないもの』は、
 @どちらも同じ人間だということ。
 A心の中心はどちらも善だということ。
 B男女の陰陽関係の役割が五分五分だということ。

『変化するもの』は、
 @肉体的に差があるということ。
 A心の表現に差があるということ。(理性と感情)
 B男女の役割が違うということ。

 では、男女の関係において平等だというのは、
 『変化しないもの』@の「人間的なこと」つまり基本的人権などの社会的権利です。日本国憲法では平等権、思想・信教の自由、集会、結社、表現の自由、社会権、拷問の禁止、黙秘権などを定。@は、この基本的人権という意味において平等なのです。
 『変化しないもの』Aの「心」のことは、聖書にあるように、もともと女が男をそそのかしたのだ、とか女はいつも男に騙されているのだ、などということはなく、本来おたがいを助け合う正しきものどうしなのだということです。Aは、この正しきものどうしという意味において平等なのです。
『変化しないもの』Bの陰陽関係とは、男のほうが女を養っているのではなく、女のほうが男をあやつっているのでもなく、おたがいの関係によってお互いが生かされているという意味です。
 Bは、このお互いを生かしあっている能力において平等なのです。これらが本当の男女同権の意味なのです。ところが、最近は男女平等の主張の中には、『変化するもの』まで平等にしようとする意見が目立ってきました。


【間違った平等】

 『変化するもの』@の肉体的には、最近女性のほうが強くなり、ボディビル、プロレス、ボクシング等々を見ると、男性が真剣に闘っても、かなわないだろうと思われる女性が増えてきました。幼稚園や小学校低学年では、男性と女性の力の差がなくなっていると聞きます。
『変化するもの』Aの「心の表現」とは、
つまり男らしさ、女らしさのことです。最近の若い男女の言葉や態度を見ていても、どうも男女が逆転しているように思えます。
『変化するもの』Bの「男女の役割」、この区別がなくなってきたため、@もAも同じようになってきているのです。
 男女同権と言って、男女の役割まで平等にしようと運動する女性が、マスコミなどで活躍しているのは困ったものです。たとえば、「女性だけが家事をするのはおかしい、男性もするべきだ」「子育ては男性も責任をもってするべきだ」「職場での女性の立場を向上しろ」等、男女同権を訴えるかたに多い意見です。
 また逆に、あたまから女性を蔑視して、男性のなぐさみもののように思っている男性がいるのにも困ったものです。たとえば「女性は社会にでなくても、家庭に入っていればいいのだ」「女性が政治・経済に口をだすな」「浮気は男の甲斐性だ」等、と思っているかたがいるのです。
 では、男女の役割とはなんでしょう。またどうして役割があるのでしょう。男女の役割とは、【陰陽関係】のことで、【能動形】と【受動形】のことをいうのです。当然、男性が能動形で女性が受動形です。ところが、前にもお話ししましたが、陰陽関係は相手、立場によって変わるものです。【天賦】関係を見れば、男性が『陽の主』で、女性が『陰の従』です。つまり、男性が外に働きに行き、女性が家庭を守るのです。そのため昔から結婚したら、男性を亭主と呼び、女性を家内と呼ぶのです。また、結婚式を見ても、男性はあまり変化しませんが、女性は色直しをいって変化していくのです。
 ところが【家庭】では、夫や子供が『陽の従』になり、妻が『陰の主』になるのです。そのため、家庭では妻のことを主婦とよぶのです。その証拠に家庭のことになると、主婦はどっしりとしてあまり変化しませんが、夫や子供はいざとなると、何をしていいのかわからず、ウロウロして主婦に頼るのです。
 女性が社会に出た場合はどうでしょう。会社などに勤めると、能動形になり女性でも陰陽関係は『陽の従』になり、男女に関係なく能力を発揮するべきです。 ここでよく間違うのが、男女に関係なくといっても女性が男性になるわけでなく、男性のなかにまじったら男女関係の陰陽がはたらいているわけですから、男らしくせず、女性らしくするのが真理なのです。
 このように、陰陽関係は相手、立場によって変わるわけです。世間では男はこうあるべきだとか、女性はこうあるべきだと決めつけるため、男女の差別問題がでるのだと思います。もし男はこうあるべきだという人の会社の社長が女性になったら、「男が主で女性は従だ、だから女性の下で働けるか」といって辞めてしまうのでしょうか?私は、能力のある女性はどんどん社長になって、世の中をよくしていけばよいと思います。
 また、男女同権だと言って、男女の役割まで平等にしようと運動している女性が、「主婦は不公平だ、主夫もしなくてはいけない」と言って、男性に家事や子育てを分担させていけばどうなるでしょう。一時的にバランスを保っているようですが、いつか家庭は分裂し子供も同じ道をたどることが多いのです。
 やはり、女性が社会に出て活躍しても、家庭をもっている場合、家に帰ると主婦になるのです。それに子育てのあいだは、なおさら主婦になるべきです。最近は結婚して子供が出来ても、生活のため共働きが多いため、主婦に徹することができにくくなっています。このままでは、陰陽のバランスが狂って子供に影響が大きくでてきます。
 この問題はとても大切なことなので、もっと国レベルで考えていく必要があるのではないでしょうか。


【不平等だから調和ができる】

 このように、男女の関係は相手、立場によって役割があるのです。この役割の影響力はおたがいに平等なのです。そしてこの役割がどうしてあるのかと言いますと、我々の社会はおたがい役割を全うすることで、世の中を調和していくのです。また逆の言い方をしますと、世の中を調和という形で表現していくには、それぞれが変化する違ったもの同士の協力が、ひとつの調和という形を現すのです。違ったもの同士は、目的が同じで役割において平等の使命をもっているのです。これをひとくちにいうと『自由と平等』と言うのです。
 以上のことをよく考えてください。平等という言葉をひとつ間違うと大変なことになるのです。調和していく目的が破壊に導いてしまうのです。
くりかえし言います。『変化しないもの』を【主】にして、『変化するもの』を【従】にするのです。もし、主と従を間違って扱うとその関係が【崩壊】してしまうのです。
 私達はこのことを肝に銘じて、『自由だ、平等だ』という言葉だけに迷わされないで、もう一度自由・平等という意味を考え直してみましょう。私達の地球に本当の『自由と平等』が訪れるように、ひとりひとりが真剣に考え、実践していきましょう。
 次章では自由・平等には欠かせない【愛(博愛)】いうテーマでお話をしていきます。 
  
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