第 十 一 章



祈りU   


【この世はあの世の投影図】

 少し前省の復習をしますと、【祈り】とは神にお願いすることではなく、目的意識を強くイメージすることだということでした。
 それと、人間は必ず先に心でイメージしてから行動するのだということも大事なことなのでよく認識しておいて下さい。つまり身体で表現することは、私達の心の世界ではすでに起こっていることなのです。この祈りということを理解して頂くには、『心・意識の世界』をよく理解して頂かないと難しくなってきます。
 宇宙に空間は一つしかないということと、意識もこの宇宙には一つしかないのだということを思い出して下さい。それに宇宙も私達の身体も、フラクタル理論により同じ形をしているということも思い出して下さい。
 このような理論から、『身体で表現することは、私達の心の世界ではすでに起こっているのだ』ということが、『この世(三次元世界)で起こっていることは、あの世(意識の世界)ではすでに起こっている』ということと同じ意味になるのです。つまり、この世の出来事が、あの世の世界ではもうすでに起こってしまっているのです。
 ということは、あの世の世界が本当の世界で、この世はあの世の投影図なの賂ということになります。
 私達の今までの考え方とは、まるっきり逆の考え方ではないでしょうか。


【空(くう)とは?】

 仏教ではこの世のことを【諸行無常】と言い、安定した世界ではないと言ったり、【仮】の世界とも言います。それに【浮世】と言われるように、この世のことを安定した言い方はしません。だから仏教では【空(くう)】の世界だと言って、有るようで無いような世界だとか、もろもろの事物は縁起によって成り立っており、固定的実体がない世界だとか、「真実の空」は決して「虚無」ではなく、かえってすばらしい「有」である、などと説明しています。ところがこのような説明では、「空」の意味がよくわからないばかりか、【祈り】の必要性がよくわかりません。【空】を、はっきりと【意識の世界】のことだと認識すると、私達の本当に住む世界は【空】の世界なのだということがわかります。
 このように認識すると、般若心経の中の一節で『是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不滅』の意味は次のように理解することが出来ます。『この世の全ての存在は、生まれたり死んだり、穢れたり浄化されたり、増えたり減ったりしているように見えているが、実際は、永遠に変わらないあの世からの投影図なのです』
 この世が全てだと考えている方が多いと思いますが、この考え方がこの世を空しいとか、有るようで無いようでなどという世界にするのです。わかりやすく言いますと、あなたが身体で表現していることより、心で思っていることの方が本当の【あなた】なのだということです。
 世の中にはその逆が多くて、「行動は正しく」とも「心では逆」のことを思っている人が多いのです。このような人を偽善者といいます。
 

【祈りは天国との連絡方法】

 以上のことから、【正しい目的意識】を強くイメージすることが、人生を生きていく上に於いてとても大切なことだということがわかって頂けるでしょうか。 何度も申し上げますが、この世は私達の心の現象なのです。しかし、この世を軽んずるわけにはいきません。なぜなら、この世は私達の心を磨くための現れだからです。
 つまりこの世での人生の目的は、『正しい目的意識を持つこと』だと言っても過言ではないでしょう。
 この『正しい目的意識を持つこと』が【祈り】なのです。これで他力の祈りがいけないという意味がわかって頂けるでしょう。はじめから何かにすがるという目的は正しいとは言わないからです。
 ではどのような言葉で祈れば良いのでしょう。まずは【感謝の心】を表していくことです。
 それから自分の心と繋がっている宇宙の意識(神)や、自分の心と繋がっている善なる魂(天使)に対して、自分がこれから行っていく正しい目的意識を宣言していくのです。その後、神や天使の御加護を祈願すればいいのです。所謂、祈りとは天国とコンタクトをとる唯一の方法だということです。
 この方法はあらゆるイメージ法に応用できます。
 七章(意識A)の【病気のときのイメージ法】でも説明しましたように、最初は感謝をしています。そして、身体を大事にすることを誓っていき、その後患部にエネルギーが流れ込んでいくイメージをしています。このイメージ法も祈り方も同じ原理なのです。
 ではもっと具体的に祈り方を説明してみましょう。
 私達は心に引っ掛かりがあると、感謝の心を表していくことが、なかなか難しいものです。まずは「自分の心の中を反省」してください。それも子供のころからのことを一つ一つ洗い出せればとてもいいでしょう。両親に対して、兄弟に対して、友人に対して、あらゆる出来事に対して、どのように考えてどのように行動したかということを反省してみて下さい。
 反省は、六・七・八【意識@ABC】でお話ししてきたことを参考にして、自分の心の中の【良心】を基準にして行ってください。このように、日々反省を怠らず、良心に基づいた行動を誓っていき、精進していけば天国とのパイプが強くなっていくのです。
 この後、神仏に家族の健康や商売の繁盛などを祈願してください。あなたの心の状態に応じて願いが叶っていくでしょう。


【本来、反省は楽しいもの】

 さて、この時の反省の仕方ですが、反省と聞くと、なにか自分を責めるような気持ちになって落ち込んでしまう方があります。ここで反省が必要な意味をしっかりと認識しておいて下さい。
 天国とコンタクトをとるということは、自分の意識の中が完全に調和されるということです。心に怒りや愚痴や妬みがあると、いくら表面意識では調和しているつもりでも、心の中には曇りがあり完全に調和ができないのです。その曇りを払う唯一の方法が、「反省」なのです。
 神道でいう楔(みそぎ)やキリスト教でいう懐悔なども、この反省とおなじ意味でしょう。つまり楔や懐悔をしないと心が調和できずに、神を心から想えないということです。反省をして落ち込んだり、自分をいやになったりする人は、反省をすることの目的がわからずにしているということになります。
 本来、反省は楽しいことなのです。
 反省の本当の目的は心を調和するためであり、心に光をイメージするためであり、心に神を想うためなのです。だから、自分の正しい目的意識を強めていけるのです。つまり、調和を目的とした想念と行為を神に誓っていけるのです。
 神道では【天業恢宏(てんぎょうかいこう)】と言い、キリスト教では【神の国に入る】と言い、仏教では【八正道】ということと同じ意味になります。
 ここまで出来ると、祈りはほぼ完成です。


【自分の子供の健康祈願】

 ここからは、自分の叶えたい目的があれば、「ありありと成就しているところ」を心に描いて下さい。そしてその目的が叶えられたという前提で、神に感謝をしていきます。あなたの心の調和度に比例して願いが叶っていくでしょう。
 たとえば自分の子供が病気になり神に健康祈願をするにはどのように祈ればいいのか説明してみましょう。祈りとは、目的意識を示す事だと言いました。つまり、「子供が既に健康な状態で有ることを心に描かなくてはなりません。」そのため、「自分の心に不安があれば完全に健康な状態」を描くことは難しいのです。
 よくある祈りでは「神様、どうかこの子をお救い下さい。」というパターンだと思います。この時の心の状態は、先に子供が病気であることをしっかり描いて、その状態を神に救ってもらおうとしているイメージなのです。このままでは、いつまでたっても子供の健康なイメージは湧いてきません。逆に子供の病気のイメージを深めていく結果になるのです。
 ではどのように祈ればいいのかといいますと、まず自分の心の調和を計って下さい。ふだんから祈っていると、心を調和することが早くなってきます。このことによって、自分の心から不安が取り除かれるのです。このことが先決です。それから子供が健康な状態で生活しているところを、ありありと心に描くのです。
 口でいうのは簡単ですが、実際は練習しないとなかなか難しいものです。


【健康祈願の参考例@】

 祈り方は色々ありますが、一つ、『イメージ法』の参考例を言いますと、まず自分の胸の中に丸いものをイメージして下さい。その丸い物が太陽のように明るく輝いて大きくなっていくところをイメージし、その光が自分の身体をすっぼりと包み込んだところをイメージします。
 その光が神の意識だと思って下さい。
 自分の心が調和したら、次に子供が自分の前にいるのだとイメージします。そして子供がその光に包まれて、笑顔で神と自分に心から感謝しているところをイメージして下さい。あなたは、光に包まれた身体で子供をしっかりと抱きながら、何度も何度も子供に「元気になって良かったね。」というイメージをしながら神に感謝していくのです。
 これを繰り返し練習して下さい。必ず良い結果が表れるでしょう。


【健康祈願の参考例A】

 次に『言葉を使って』の祈りの参考例を言います。
 「神よ、私達は今まで生きてきた中で、神の心に反した想いと行為を数多くしてまいりました。どうか私達のあやまちをお許し下さい。私達は心を改め、神の心に叶った思いと行為を実践してまいります。どうか私達の心と身体に神の光をお与え下さい。」と言いながら、自分に天から光がスポットライトのように当たっているところイメージをして下さい。
 それから、子供を自分の前にイメージして次のように言います。「○○ちゃん、あなたは本来神の心を持った神の子です。あなたは本来の心、本来の姿を現しなさい。神よ、どうか我が子に神の光をお与え下さい。」と言いながら、我が子に光が自分を通して当たっているところをイメージします。
 そしてイメージが出来たら「神よ、我が子に神の光をお与え下さり、有り難うございます。」と言って下さい。
 これで完全なる健康体を描けると思います。


【健康祈願の参考例B】

 ところが、次のようなケースはどうでしょう。
 子供がいじめにあっている場合や主人が左遷されて苦しんでいる場合、また身内の人が病院で手術をするので、成功を祈る場合。この場合は、もっと祈りを広げる必要があるのです。子供がいじめにあっている場合は、今のように自分のこどもは言うまでもなく、いじめている子供にも、自分の子供と同じように光があたっているところをイメージします。また主人が左遷で苦しんでいる場合も、同じようにその会社や上役までも光のイメージをします。手術の場合は、その医者や看護婦の皆さんも光のイメージで包んで下さい。以上のどの参考例も、同じ原理なのです。
要するに、自分の心の中に完全なる調和を描ければいいのです。
 

【間違った祈りは自分自身の心が裁く】

 「なんだそんなことだったら簡単じゃないか。」と思われる方がいられるでしょうが、完全に描けるというのは、なみたいていではありません。完全に描けるということは、完全に【信じきる】ということなのです。だったら、完全に信じきったらどんなことでも叶うのか、という疑問が湧いてくると思います。ところがそうはいかないのです。
 なぜなら、私達はこの世に生まれてくる前に、この環境を選んできたのは自分自身だと、九章【意識C】で説明してきました。それには、自分でなにか目的があったはずです。この目的を見つけることが、「人生の大きな目的」なのだと、さきほども説明しました。この目的からはずれる祈りは、聞かれないということになります。なぜなら自分が決めた目的に反する目的をいくらイメージしても、心は完全に調和しないということなのです。
 たとえば「宝くじに当たって下さい。」とか、「だれだれを病気にして下さい。」などと祈っても、自分の本来の目的から大きくはずれているから叶いません。ところが、「世の中には悪運の強い人がいるじゃないか。」と思われるでしょう。そうです。イメージの強い方は、自分の強い祈りで、自分の本来の目的でない調和からはずれたことでも、一旦叶ったように見えることがあります。
 しかし、この宇宙には『原因・結果』『作用・反作用』『動・反動』の法則が働いているのです。自分の良心に基づいた目的からはずれた祈りは、一旦叶ったように見えても、必ず自分の良心の反動を受けます。これを宗教では仏罰と言っているのです。この反動は、この世で受けるとは限りません。死ぬ寸前まで悪のイメージの強い方が、たまにいます。このような人は、意識の世界(あの世)までイメージを引きずっていきます。その世界を宗教では、地獄と呼んでいるだけです。そこで自分の良心の反動を受けるということです。
 でもほとんど人は、年を取ると気が弱くなるため、悪運の強い人でも自分の良心の反動を受けるため、老後に心がみじめになる人が多いのです。


【病気や不幸な時こそ正しい祈りのチャンス】

 この世での人生の目的は、自分の心を調和し、それを行為に現していくことなのです。その為には【祈り】が必ず必要なのです。もし、皆さんの心が不調和になり、その行為も不調和になると、病気や事故や不幸という形で、皆さんに苦しみという感情を与えるのです。この時が、皆さんの目的意識を正す大きなチャンスなのです。故に【正しい祈り】が、如何に大切なのかおわかり頂けると思います。
 ところが、多くの人々がこの時に他力になるのです。結局、他力信仰やおかげ信仰を売り物にしている宗教団体、それに占いや祈祷や霊能者達のお得意さまになってしまうのです。結果、お金をすっかり取られるか、家族がもめて以前よりもっと不調和な形になっていくのがおちです。
 本人が「これは少しおかしいな。」と思っても、『罰があたる』『信心がたりない』『先祖供養がたりない』『布施がたりない』『家の方向が悪い』等々の脅かしの言葉でますます深みにはまっていくのです。意味もわからずにお経をいくら唱えても、なんの御利益もないのです。
 この紙面を通して、皆様に【祈り】の意味と大切さをご理解頂けることが、私の本願です。
 次回は、祈りと同様に大切な、瞑想(坐禅)についてお話ししていきます。  
   
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