第 八 章




意識V


【あなたは脳でも遺伝子でもありません】

 前章では、【感謝の気持ち報恩の心】は、肉体を元気に保っていく為の特効薬だということをお話してきました。『今回は、全てのものに感謝できるためには、どのようにすればいいのか、ということについて、本章と次章の二章にわたってお話ししていきます。』
 人間は自分にとって、プラスのことをしてもらったり、プラスの出来事がおこると、人や物に感謝するのです。ところが、自分にとってマイナスのことを言われたり、マイナスのことがあると、怒ったり、恨んだり、妬んだりするものです。それならば、世の中の嫌なことや、嫌な人は、全部自分のプラスになっていると思えたら、私達は全てのものに感謝できるはずです。とはいっても、「言うは易く、行うは難し」です。
 それに、近頃の世の中は、嫌なことや、嫌な人がとても多くなり、ストレスの溜まることばかりです。そのような中で、どのようにして、私達は全てのものに感謝の心を持てばいいのでしょうか?
   

【文明科学が進歩すれば何かが失われる】 

 自然環境をみると、汚染や破壊がどんどん進んでいます。人間が便利なものを求めれば求めるほど、汚染や破壊は進んでいくようです。医学をみても、薬はどんどん開発されますが、病原菌もどんどん進歩しています。食べ物をみても、人間がいつも美味しくて安いものを、求めれば求めるほど、農薬のかかった、しかも人工的に手の加えられた食べ物が出回ってきます。科学がどんどん進歩していくと、何か人間にとって大事なものが、どんどん失われていくみたいです。教育をみるとどうでしょう。「英才教育」「潜在能力開発」等々、どんどん進歩しています。経済は、というと物の流通に代わって、お金の流通になっています。所謂、「金融経済」が中心になっています。これが経済の進歩だと言われています。
 「文明科学の進歩は人間にとっていいことじゃないか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。たしかに、進歩はいいことのように思えますが、では「心の向上は?」と聞かれたらどうでしょう。
 そうです、どんどん失われているものは、本来人間が持っている『真心』なのです。


【死後は存在するのかしないのか?】

 このように、『真心』を失ってきている世の中で、全てのものに対して、感謝の心を持つのは、至難の技です。その為にも、ここで大きな発想の転換が必要になってくるのです。
 これから、お話していくことは、あなたにとって重要な発想になると思いますので、真剣に考えてみてください。では、ここであなたに質問します。
 「あなたが死んだら、そのあと、あなたは存在していると思いますか、それとも無くなると思いますか?つまり、死後の世界は存在すると思いますか、それとも存在しないと思いますか?」
 本書を読んでいらっしゃる皆さんのなかには、「私は、死後の世界は存在すると思っています、だって一度死にかけた時、あの世を見てきました、私は、臨死体験をしたんです。」という方がいらっしゃるかも知れません。
 でも、こういう方は、ごく少数だと思います。「私は、そんなものはこの科学の時代に、有り得ないと思っています。死後の世界なんて人間が作り出した妄想ですよ」と考えられている方が、ほとんどだと思います。
 テレビでも、あの世を題材にした番組がよくあります。そのなかで、あの世を信じる派と信じない派で言い争っている場面をよく見ます。あなたも一度や二度くらい友達と言い争ったことはないですか。
 なぜなら【死】は、人間が全員、必ず体験するものですし、それに未知の体験なので、だれしも興味のある共通の話題だからです。宗教でも、死後の世界の問題についてはまちまちです。
 最近、本屋さんでも死後の世界の本がかなり出回っています。それに、あの世の宣伝マンだと称する、有名な俳優さんまでいらっしゃいます。ところが、そんなことに興味をもっていくら議論しても、意味のないことです。なぜなら、現実には、死んだらわかることだからです。死後、あなたが無くなっていたら、「ああ、やはり無かった」という思いや「ほら、私の意見が正しかったでしょ」という思いも無いのです。死後、あなたが存在していたら、「ほら、やはり私の意見が正しかったでしょ。」と勝ち誇れるでしょう。ところがいくら勝ち誇っても、所詮、あなたの心の向上には、直接なんの関係も無いのです。
 つまり、死後の世界が、有るのか無いのか、詮索することに時間を費やしたところで、あなたの心の向上には、なんの役にも立たないということなのです。


あなたは何を信じて生きていますか?


 ここで、よく考えてみましょう。結局、あなたの意識は、永遠に存在しているか、それとも、いつか無くなるのか、二つに一つです。いいかえると、魂は『無限』か『有限』かの、どちらかだということです。そして、あなたにとって最も重要なことは、死後の世界が、有るのか無いのかを詮索するよりも、
・『あなたは、自分が永遠に存在すると思って【今】生きているのか』
・『あなたは、自分がそのうちに無くなるのだと思って【今】生きているのか』
・『あなたは、自分が無くなるのか無くならないのか、わからないと思って【今】生きているのか』
これら三つの考え方のどれを選んで生きていくかが大事なのです。なぜなら、人間は、生きていくなかで、何かを信じて生きていきます。たとえば、お金を信じて生きる人・権力を信じて生きる人・腕力を信じて生きる人・家族を信じて生きる人・友人を信じて生きる人・自分を信じて生きる人等々、人間は、それぞれ何かを信じて生きています。
 なかでも、自分を信じて生きることは、とても素晴らしいことだと思います。
その自分を『無限』だと信じて生きているのと、『有限』だと信じて生きているのとでは、当然考え方や行動に違いが出てきます。つまり、運命が違ってくる、ということになるのです。だから、この三つのどの考え方を選んで生きるかは、あなたの人生にとって、とても重要なことになるのです。
 では、これら三つの考え方のどの考え方が、あなたにとって一番最適なのでしよう。
 まずは、『あなたは、自分が無くなるのか無くならないのか、わからないと思って【今】生きている』としましょう。そのうち死は、100%やってきます。それも、いつやってくるのかわかりません。その時、急にポックリ死ねたら、死の不安は無いかも知れません。ところが、死期を予感してからの生活はどうでしょう。自分が死後、どうなるのかわからないと思ったまま死を迎えるのは、不安でたまらないはずです。
 仮に、タクシーに乗って、目的地を告げずに、「とにかく走ってください」と、運転手さんに言ったとしたらどうでしょう。時間が立つにつれて、運転手さんは、どんどん不安になっていくはずです。このように、人間は目的がわからないと、どんどん不安になっていきます。 
 また、毎朝でてくる太陽ひとつ見てもそうです。今日は太陽がでているが、明日になったら太陽はあがってくるのかどうかわからない、と思って生きていたらどうでしょう。毎日が不安で不安でたまらないはずです。
 このようなたとえで、わかっていただけると思いますが、『自分が無くなるのか無くならないのかわからないと思って、今生きている』という考え方では、自分に不安をもたらすだけなので【損】な考え方だと言えます。
 では『自分が永遠に存在すると思って、今生きている』という考え方と『自分はそのうちに無くなるのだと思って、今生きている』という考え方とでは、どちらがあなたにとって得でしょう。
 つまり、どちらの考え方が、あなたの人生にとって、【価値】があると思いますか?
   

【価値とは何?】

 その前に、【価値】とはなにか、ということについて考えてみましょう。
 「あなたは、あなたにとって価値のあるものと、価値のないものとどちらを好みますか?」と聞かれたら、あなたは「当然価値のあるものに決まっているじゃないか。」と答えるでしょう。
 では、「価値とはなんですか?」と聞かれたら、どのように答えますか?あらためて聞かれると、戸惑うでしょうが、たぶん「自分にとってプラスになるもので、それもその時の環境によって変わるもの」と答えるでしょう。たとえば、「金と銀とでは、どちらに価値がありますか?」と聞かれたら、ほとんどの方が「金」と答えるでしょう。それは銀より金のほうが経済的価値があるからです。では、「金とお米では、どちらに価値があるでしょう?」つまり、金を1キログラムとお米を1キログラムのどちらかをあげましょう、と言われたら、あなたはどちらを選びますか?「そりゃ、金に決まっているよ」という方が多いと思います。ところが、無人島で生活をしていたら、答えは変わってくるでしょう。これは、環境によって、価値観が変わってくるという一例です。
 価値というものは、相対的、つまり比べることに於いて、出てくるのだということも、大事なのですが、その時その時の、状況によって価値観が変わるということの方が、大事になってきます。お腹が一杯の時のごちそうや、病気のときの旅行の誘い、嫌いな映画の招待券等々が挙げられます。このことを、諺で『猫に小判』『豚に真珠』『馬の耳に念仏』といっているのです。
 なるほど、価値観というものは、ある状況の中でこそ、見出せるのだということがよくわかっていただけると思います。しかし、ここで説明したいのは、このことではないのです。もう一歩踏み込んで考えてみましょう。
 最も大事なことは、「ある状況の中でこそ」と言っているように、ある【場】がないことには、価値は生まれてこないということなのです。あなたが、今まで生きてきた中で、価値のあったことや、価値のなかったこと、いろいろと体験をされてきたと思います。それは、あなたの人生という【場】のなかでの価値観です。このように、価値とは、ある状況という【場】が必要になってくるのです。
 それでは、あなたの人生そのものの、価値はどのようにみるのでしょう。
 『自分は死んだら無くなるのだと思って、今、生きている』という人は、死ぬと同時に、『自分の人生の価値は、無くなるのだと思って生きている』、ということになります。「そんなことはないよ、自分が死んでも、他の人が自分の価値を認めてくれるよ。」と思われるでしょうが、その思う意識自体が無くなっているのです。つまり、死んだら、全て無くなるのです。「そりゃ、そうだよ、人間生きているうちが花じゃないか。」という方が多いのではないですか。
 ところが、人間は普遍的な永久(とわ)の価値を大切にします。不老長寿の秘薬をさがしたり、永久の愛を誓ったり、無くなることを嫌います。


永遠の中だからこそ
真の価値が見いだせる


 しかし「花は、咲く時も美しいが、散る時もまた美しい。」とおっしゃるかも知れません。たしかに、桜などは、つぼみの時より、散り際のほうが美しいと思います。「じゃあ、来年は?」というと、またつぼみがでて、綺麗に咲くのです。そして美しく散れるのは、いつかまた咲くから価値があるのです。
 もし、ある花が一度美しく咲いて、そして散り、その後永久に二度と咲かないとしたら、その花の価値はどうなるのでしょう。その花を知っている人のなかでは、記憶として価値は残るでしょうが、いろんな人にその花の美しさは、伝えることができません。普遍的な価値は無くなるということです。
 生命は永久の中で咲き、そして散り、それを繰り返すことにより、価値を見出せるのではないでしょうか。これが【真の価値】です。
 よく、人生は一生勉強だ、と言われています。一生勉強だけして、死んでなにも無かったら、何のために勉強してきたのでしょう。義務教育を終えて、高校、大学、大学院と勉強をしてきて、卒業という日に死んだら、人はなんというでしょう。「せっかく勉強をしてきて、これからという時に、なんと不幸なことでしょう。」と、このようにいうでしょう。勉強をしたのなら、それを活かす場所が必要になるのです。


【子供に伝えたい永遠の生命】

 また、最近は子供の自殺が増えてきています。
 こんな時、子供達に、自殺はなぜいけないのかということを、どのように説明するのでしょう。
 次のような、親子の会話を考えてみてください。

子供 「お母さん、人間は死んだらどうなるの?」
お母さん 「それはね、人間は死んだら無になるのよ。」
子供 「それじゃあ、嫌なことも、苦しいことも無くなるんだね。」
お母さん 「まあ、そういうことになるかもね。」
子供 「実は、僕、今学校でいじめられていて、生きていくのが嫌になってきたんだ、だから自殺をして早く楽になろうと思うんだ。」
お母さん 「そりゃだめよ、生きていれば、そのうち必ずいいこともあるし、せっかく与えられた命でしょ、自分で命を絶つことは、絶対にだめよ、強く生きていきなさい。」
子供 「でも、お母さん、この先必ずいいことがあるという保証はどこにもないし、与えられたといっても、お父さんとお母さんが勝手につくったことだし、どっちみち、死んで無くなるのなら、早く無くなるのか、遅く無くなるのかの違いでしょう。死ぬ時期ぐらいは、自由に自分で決める個人の権利があると思うよ。」
この先このお母さんはどのように答えたのでしょう?

 では、次の親子の会話はどうでしょう。

子供 「お母さん、人間は死んだらどうなるの?」
お母さん 「それはね、人間の魂は永遠なのよ。」
子供 「それじゃあ、死んでも、嫌なことも苦しいこともずっと続くの?」
お母さん 「まあ、そういうことになるかもね。」
子供 「実は、僕、今学校でいじめられていて、生きていくのが嫌になっていたんだ、だから自殺をして楽になろうと思っていたんだけど、死んでも苦しいのなら、僕はどうすればいいの?」
お母さん 「今の状態から逃げ出してはだめなのよ、人間は永遠なんだから、死んで楽なろうと思って死んでも、また死んで楽になろうと思うのよ。こんなことを永遠に繰り返していたら、こんな苦しいことはないでしょ。」
子供 「じゃあ、自分で解決する以外に方法はないの?」
お母さん 「その為に、お父さんやお母さんは出来るかぎり協力するのよ。魂は永遠でしょ、だから逃げ出しても、永遠に解決しないの、永遠の中では、いつも【今】なの、そのために、【今】を大事に生きていかないと、あなたが苦しいだけなの、お父さんお母さんは、あなたの味方よ。」
子供 「わかった、僕は逃げずに頑張っていくよ。」

 以上の二つの会話を比べてみて、あなたは、『自分はそのうち無くなるのだと思って【今】生きている』のと、『自分は永遠に存在していると思って【今】生きている』とでは、どちらに価値があると思いますか?
 このつづきは次章で説明していきます。

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