第 六 章



意識T


【あなたはだれ?】

 本章では生命の根源であり、万物の根源である【意識】についてお話ししていきましょう。
 本書三章(陰陽@)の【意識とは】で少し意識についてふれましたが、もう少し詳しく、できるだけわかりやすく説明していきたいと思います。
 日頃私達は【意識】という言葉をどのように使い、またどのように理解しているのでしょう。「○○を意識する・意識を失う・無意識に○○をする・意識的に行動する」等と使っていますが、改めて『意識』とはなんでしょう?と聞かれても、なかなか答えにくいものです。私達は、意識というものがなければ、何も始まらないということを、よく知っているはずです。そのわりには、意識について真剣に考える時間が少ないのではないでしょうか。この機会に私達の意識というものについて、一緒に考えていきたいと思います。
 さて、唐突な質問ですが、この『気は心』を読んでいらっしゃるあなたにお聞きします。「あなたは誰ですか?」さあ、どんな答えが浮かんできたでしょう。「私は○○郎です」とか「わたしは○○子です」と名前で答えた方、この方はもう少し自分というものを大きく考えてみてください。自分というものを一つの固定概念で見てしまいますと、今の自分から脱皮できなくなり、心の向上がはかれなくなるのです。
 「さあ、私はだれでしょう?」と思った方、この方は、これから自分というものについて、考える時間を少しつつ増やしてみてください。新たな自分に出会ったり、また宇宙(自然)を知っていくチャンスだと思います。


【すべては自分の意識の中】

 「私と家族・私と友人・私と他人・私と社会・私と自然」等々、あらゆるものと私との関係があります。その都度違う私があります。ある時は甘える私、ある時は厳しい私、ある時は責任感のある私、ある時は無責任な私、等々どの私が本当の私なのか、わからないほど「私」があります。
 ところが、あれこれと考えてみても、所詮、自分の意識の中での考え方によるものだ、ということに気付かれると思います。楽しいことがあって喜んでも、いやなことがあって悲しんだとしても、どっちにしても自分の意識の中で思っていることです。たとえば、あなたが一番信頼している人に対して、「あなたの考えていることは全てわかる」と豪語しても、所詮『自分の意識の中でそう思っている。』ということにすぎないのです。つまり、自分の意識以外のものを確認することは、不可能なのです。
 これを仏教では、『相即相入』といい、『認識即存在』つまり存在するものは全て自分の意識の中だということです。ちょっと話がややこしくなってきました。ここで別の見方をしてみましょう。


【私達は空間の中で生きている】

 皆さんは【空間】や【場】について、考えてみたことがあるでしょうか。
 私達は、物質を使って生活をしていると思っているでしょうが、ほとんど空間を使って生活をしているのです。私達が食事をする時、お茶碗を使いますが、実質はそのお茶碗の空間を使っています。また生活をするために家を建てますが、使うのは【空間】です。電車に乗っても、バスに乗っても使うのは空間です。カバン・引き出し・財布・ビン等々、使うのは空間です。この空間を【場所】と呼ぶのです。あらためて空間のありがたさがよくわかると思います。
 ではこの空間というのはどのようなものでしょう?
 宇宙空間にでも行けば、感覚としてわかるのでしょうが、残念ながら、私達が宇宙旅行に行けるのはまだ少し先のようです。
 では宇宙旅行に行った人は、どのように感じたのでしょう。
 宇宙空間では「上下・縦横・高低」のない世界のようです。評しくお知りになりたい方は、『中公文庫/立花隆著/字宙からの帰還』を参照してください。この「縦・横・高さ」のない空間の世界に【物質】があらわれて【場所】ができるのです。つまり、何もない広い土地に一軒一軒の家を建築すると、一つ一つの場所(住むところ)ができるということと同じ意味なのです。もともと空間は一つしかないのです。なにかで仕切らないかぎり、この宇宙に空間というものは一つなのです。
 またちょっと話がややこしくなってきましたが【あなた】というものを理解して頂く上で、とても大事なところなのでよく読んで頂きたいと思います。


【宇宙空間とはあなたの意識のこと】

 物理学では、真空は単なる空虚ではありません。陰電子と陽電子が結合して、静まりかえっている海なのです。つまり真空はエネルギーが充満している海だということです。また仏教では【真空妙有】といって「空」は決して虚無ではなくて、素晴らしい【有】であるとしています。
 物理的にも、精神的にも同じことを言っていると思いませんか?『実はこの空間と意識とは、同じものなのです。』空間のなかにはあらゆる次元が含まれているのです。この宇宙でどのような現象が起きようが、所詮、空間の中です。この空間以外で現象は、起きようがないのです。
 たとえば「地震が起きた。」「台風が発生した。」当然、空間の中です。「UFOを見た。」「宇宙人を見た。」これも空間の中です。また「幽霊を見た。」「未来を見た。」などという超常現象も所詮、空間の中での出来事です。さきほど説明した「所詮意識の中。」と言ったことと、「所詮空間の中。」と言ったことが、まるっきり同じ理屈なのだという意味がわかって頂けるでしょうか。そうすると、この宇宙に空間は一つしかないということは、この字宙に意識というものは一つしか無いということになります。「そんなはずはないよ、だってこの地球上だけでも、約55億の人間がいるじゃないか、そうすると最低約55億の意識があるじゃないか、それに動物や植物にも意識があるとすると、数えきれない意識があるはずだよ!」当然、このような意見がでてくると思います。
 ここで【場】という説明が必要になってきます。


【結婚式場や運動場の場】

 【場】という字はどのように使われているでしょうか?
 運動するところを運動場・結婚するところを結婚式場・〇〇の会をするところを〇〇会場といいます。それでは結婚式場を例に説明してみましょう。日本には数えきれないほどの結婚式場があると思いますが、その中には似かよった結婚式場が多数あろうかと思います。しかし、結婚式にはそれぞれの雰囲気というものがあり、似かよった結婚式場で結婚式をあげても、それぞれの結婚式には、雰囲気がぜんぜん違う場合があるのです。見た感じは同じ結婚式に見えても、新郎新婦の関係に於いて、そこに現れる雰囲気はつくりだされる、ということなのです。
 つまり、陰陽の関わり合いをつくりだすところが、【場】なのです。
 運動場では、そこで行われる競技種目や選手のレベルによっても、場の雰囲気は変わってきます。野球とラグビーとでは、運動場の雰囲気は違いますし、小学校の運動会とオリンピックとでは当然ちがうということです。


【場も一つの意識体】

 このように見ていきますと、私達の周りにあらゆる【場】があります。
 家族というのも場なのです。夫婦・親子の関係に於いて、それぞれの家庭の雰囲気があります。また会社も一つの場で、法人といって、法律が認めた人になり、法人格ができ、印鑑証明まで登録できるのです。それに、市町村・都道府県も、それぞれ場を持っているのです。もっと広げると、それぞれの国にも場があります。またさらに広げると、地球・火星・木星・・・、またさらに太陽系から銀河系へと、場はどんどん広がっていきます。このように【関わり合い】をつくるところが【場】だとわかってきます。わかりやすくいうと、個性を作るところだと思ってください。大阪の人と東京の人では雰囲気が違いますし、日本人とアメリカ人でも雰囲気はちがいます。でも同じ人間だということです。
 この【場】というのも、意識なのです。『集団意識』といって、家族には、家族としての一つの意識があり、会社にも会社としての意識があります。大阪には大阪の意識、日本には日本の意識というふうに、それぞれに意識体というものが、発生してくるのです。「それじゃ意識は一つだと言ったのは、違うじゃないか」と思われるでしょうが、意識は一つなのです。
 たとえて言いますと、『鳴門のうず潮』を見られたことがあるでしょうか?この渦潮は、潮の干満により、瀬戸内海側と紀伊水道側とに潮位の差が生じ、それが早い潮流となり、渦潮ができるのです。しかし、そのいくつもの渦も、鳴門の海に、渦という別のものが入ってきたわけではありません。所詮、一つの海の上でおこっている現象です。この渦が一つの【場】なのです。そして鳴門の海が【空間】ということになります。つまり、渦も海の一部だということです。一部とは、同じものだという意味になります。この【場】と【空間】は、お互いに影響しあって存在しているのです。
 言い換えると、【部分】と【全体】の関係といいます。


【私達の魂は、一つにつながっている】

 では、さきほどの約55億の意識が一つだというのは、どういう意味なのでしよう?
 私達一人一人の意識は、鳴門のうず潮の一つ一つの渦と同じ仕組みなのです。この渦のことを、【魂(たましい)】と呼ぶのです。私達一人一人は別々のものだと思っているでしょうが、一つなのです。
 このことを心理学者のC・G・ユングは、人間の潜在意識には『集合的無意識』と言って、「すべての人間は、皆一つにつながっているところがある。」と言っているのです。つまり、【あなたの意識】は、この宇宙の空間と同じ大きさがあるということになります。言い換えると【あなた】は宇宙そのものだということです。
 そうすると、あなたのまわりの人々は、すべて【あなた】だということです。このことを、仏教では『一即多・多即一』『宇宙即我・我即宇宙』というのです。
 でも、理屈ではなんとなくそうかなあと思っても、実感としていま一つわかりにくいと思います。


【瞑想や禅がなぜ大事なのか】

 「私は宇宙そのものだ。」と理解し、実感できる唯一の方法が、【瞑想】であり、【禅】なのです。
 瞑想の【冥】とは「奥深いこと・目に見えない神仏の働き・あの世」などの意昧があります。神仏の働きとか、あの世などといわれても、よくわかりません。これは【意識の世界】という意味なのです。意識の世界とは、あなたの心の世界ということですから、瞑想とは、あなたの心の世界を、想うことだということになります。
 【禅】とは単を示すと書きます。つまり、一つを示すことになります。一つとは宇宙の意識、つまりあなたのことです。このようなことから、【さとる】という字は、りっしんべん(心)に吾(われ)と書くのです。また、【覚者】とは自覚した者つまり自分が宇宙だと自覚した者という意味なのです。
 瞑想・禅が如何に大事か、わかっていただけると思います。この瞑想・禅の仕方は、あらためて説明させて頂きます。


人間にはなぜ悟りが必要なのか?


 でも、次のように言われる方もいらっしゃるでしょう。「自分が宇宙だとわかったからいって、一体何がどうなるんだ。また、自分にとってどんなメリットがあるんだ。」よく宗教では「悟りなさい」とか「自覚しなさい」と言いますが、でも何のためにするのかわからないことには納得できません。では、自分が宇宙だとわかったら、何が得するのか、何のために「悟」をめざすのか、次に説明してみます。
 ここで、「宇宙はフラクタル(金太郎飴のように、どこを切っても同じ形)にできている」ということを思い出して下さい。(フラクタル理論については、本書四章、【陰陽Aフラクタル】を参照して下さい。)『宇宙とあなたの関係を知りたければ、あなたとあなたの身体の関係を見れば、同じ事になっているはずです』と説明しました。
 ではここでまたあなたに質問をします。「あなたの肉体は誰のものですか?」「そりゃ自分のものに決まっているよ」と答えた方、あなたは爪を切った後、その爪を大事にしまっていますか?散髪をした後やひげを剃った後の髪の毛やひげはどうしますか?また、夏に日焼けして、ひと皮はがれた皮膚は汚いと思いませんか?目糞・鼻糞・耳糞・汗・大小便など、自分の肉体から離れたとたんに、汚いと思うのではありませんか?
 つまり、自分のものだと思っていない証拠ではありませんか。
「いや、髪の毛や爪や汗や大小便は別だよ」と思っている方がいるでしょう。あなたは、胃を手術で摘出した人や、肺や腎臓の片方を摘出された方は、その臓器を大事に持って帰ると思いますか?自分の肉体の一部が自分から離れたとき、人間は自分のものでないと思ってしまうのです。それは、私達の心のどこかで、自然に還っていったんだと思っているのでしょう。
 このように、肉体は自然からの借り物だということです。では「私はどこへいったんだ」と思うでしょう。私、つまり自分とは【意識そのもの】の事なのです。「そんなばかなことはないよ、脳が自分なんだよ」という方がいらしゃるでしょう。そうしたら、心臓はどうなるのでしょう?
 この度、脳死が認められました。そのため、死は、脳死と心臓死の二つの死があるということになりました。では「【私】は心臓なのでしょうか、それとも脳なのでしょうか?」
 それでも「脳と心臓の両方で自分なんだ」と反論する方がいらっしゃるでしょう。
 こういう方には「腸は誰ですか?」とお聞きします。それに内臓の人工移植の場合、どこまでを自分といえるでしょう。最近はクローン人間も可能になってきました。もし自分のクローン人間を作った場合、そのクローン人間を自分というでしょうか?
 この様に自分とは【意識】の事で、肉体は自然からの借り物なのだという事を理解して頂いたでしょうか。そこであなたに、いじわるな質問をしてみます。  「あなたの手と足の指でどれかいらないものを一つ売って頂けませんか?」
 さて、あなたは困りましたね。あなたは、あなたの肉体のどの部分も、大事にしているから、あげたり、売ったりするのは、いやではありませんか。
 なぜならその借り物をあなたは、自分のもののように愛しているからです。自分の肉体も、自分から離れてみると、とても汚いものです。その汚いものでも自分の身体の中にある内は、自分そのものだと思っているのです。
 あなたは、あなたの身体の全部を含めて、あなただと思っているはずです。
 そしてあなたは、あなたの身体の一つ一つの部位のすべてを愛しているはずです。それにまたあなたは、あなたの身体の一つ一つの部位の健康を願っているはずです。あなたの身体の一つの部位が病んで、それ以外の部位は全て健康であってもあなた自身の心は病むのです。
 例えば、あなたの足の指一本の爪がはがれても、あなたは大騒ぎして他のことは何も手につかないのです。足の爪以外すべて健康であったとしてもです。「あなたは、あなたの身体の全ての部位が健康になってはじめて、安心するのです。」
 ここで先ほどいった『あなたとあなたの身体の関係』は『あなたと宇宙の関係』と同じであるという理論にあてはめると、『あなたの身体の全ての部位』というのは『あなた以外の全ての魂(生き物)』という表現と同じ事になります。
 そうすると『あなたは、あなた以外の全ての人々や全ての生き物を愛して、全ての人々や全ての生き物の幸せを願って、そしてそれが叶った時、安心する』という意味になるのです。
 私達は心が安らかになるために、生きているといっても過言ではありません。

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