第 四 章



陰 陽Uフラクタル


【フラクタル理論】

 宇宙のシステムの中に不思議なシステムが数多くありますが、その一つに、ベノア・Bマンデルブロ氏によって提唱された『フラクタル理論』があります。
 【フラクタル】とは、自己相似性を有する複雑な図形の総称とした、マンデルプロの造語です。つまり、どこを切っても同じ顔が出てくる、金太郎飴のような図形だと思って下さい。
 【図@】はスウェーデンの数学者H・コッホ氏が発表した『コッホ曲線』と、その作り方です。
 aのように、ある線分を三等分します。そして真ん中の線分を削除し、三分の一の長さを一辺とする正三角形を作りますと、bの図形になります。線分をそれぞれ再び三等分し、同じ操作を繰り返しますとcの図形になり、この操作を無限に繰り返したときの極限が、コッホ曲線なのです。コッホ曲線でわかるように、どの部分をみても、元の形を形成している事がわかると思います。まさしく金太郎飴といえます。
 このような自己相似形が、ふだん何気なく見ている木の枝や山並み、川の形、雲の動き、さらに地殻変動やひび割れ、人体の血管や神経など、またランダムだと思われていた株の動きやあらゆる社会現象、人間のものに対する考え方等、宇宙のあらゆるものにあてはまるのではないかと思われる理論なのです。
 現在CG(コンピューター・グラフィックス)の世界では大変活躍しており、従来自然の景色をリアルにあらわすのは、画像では不可能と思われていたものがフラクタル理論により、実際の景色と変わらないものをつくりだすことができたのであります。このことから、科学の対象からはずされていた形や、さまざまな物理現象を定量化することが、できてくると思われます。
 このことはどういう意味かといいますと、この世のあらゆるもの、あらゆる出来事は、計算することによってわかるのではないかということなのです。これは、画期的な理論です。





【老子にも聖書にもフラクタル理論あり】

 ここで前章の話を思い出してください。
 老子の言葉は「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず・・・」 聖書では「『神は光あれ』と言われた、すると光があった。神はその光を見てよしとされた。(中略)・・・神は自分のかたちに人を創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ、また海の魚と、空の鳥と、地に動く全ての生き物とを治めよ』」
 この二つの言葉から『一・二・三の三つのパターンが全ての基本になり、このパターンが繰り返されることで万物ができている』という意味をあらわしていると説明しました。
 これはまさにフラクタル理論ではありませんか。フラクタル理論が提唱されたのは、1975年です。それ以前、太古の昔よりこのことは言われ続けてきたのです。仏教の曼荼羅を見てもそのことがわかりますし、宇宙と人間の関係の事も、大宇宙・小宇宙といいます。


【八卦図と遺伝暗号図】

 ここで、【図A】の周易の八卦図と遺伝子DNAの遺伝暗号図を見てください。不思議なことに気づかれると思います。どちらも三つ一組の配列になっています。
 八卦はこの三つの基本から、宇宙の全てのものを占っていきます。遺伝子DNAもこの三つの基本から、全ての生命を生み出していきます。それに八卦図を見ると、最初は縦と横の十字、つまり二本の線から始まって東西南北の四種類ができ、つぎに北東・南西と北西・南東の十字を引いて八卦図になっています。
 また遺伝子も、二重ラセン構造で二本の遺伝子からでき、それぞれ四種類の塩基からなっています。このように、八卦図も遺伝子も、不思議な事に同じ構造をしているのです。但し、八卦図がつくられたのは遺伝子が発見されるよりずっと以前なのです。八卦図一つをみても、なんと東洋思想の奥深さがうかがえるではありませんか。
 数字も「一(陰)・二(中)・三(陽)」「四(陰)・五(中)・六(陽)」「七(陰)・八(中)・九(陽)」の3つのパターンからできています。その中心は【五(中)】です。【五】を中心に数字が周りだすと【八卦図】になります。
 このように、【五】は三次元物質の世界では、基本数字になっています。さすがに中国の先人たちは、五行説といって、宇宙の全てを五つにわけているのです。
 また私達の身体をみても、「五体・五臓・五官・五指」です。宇宙のエレメントも、「光・熱・電気・磁気・重力」の五つにわけられます。
   







【背骨の仕組み】

 それでは、小宇宙といわれる人体について、見ていきましょう。
 人体の大黒柱と言われる背骨を見ると、「一・二・三」のパターン通り「脊椎・仙骨・尾骨」の三つにわかれています。その中の脊椎は、頸椎が七個・胸椎が十二個・腰椎が五個にわかれていますが、この数にも意味があるのでしょうか?
 【七】という数字は【陰】、【十二】という数字は前号の説明より三のグループに入り、【陽】です。【五】という数字は【中】。
 つまり、数でみると頸椎が陰、胸椎が陽、腰椎が中というように、みごとに【陰・中・陽】にわかれています。すると、背骨全体の構成は「頸椎・胸椎・腰椎・仙骨・尾骨」の5つにわけることができます。このように森羅万象の最小基本単位は三つにわかれ、三次元物質的な相互関係の構成は五つにわけられるのです。
 脊椎の中でも、大地(三次元物質)に近い腰椎の数が、五個であるという意味がうなずけてきます。
それに、背骨の中でも、肉体のエネルギーの中心発信源だともいわれている仙骨も、五個の仙椎として発生しますが、出生までに融合して、一個の骨となっているのです。
 では次に、なぜ胸椎が十二なのかというと、「一年は十二カ月」、「一日は午前午後の十二時間ずつ」、「干支は十二支」、「仏教は十二因縁」、「キリストには十二使徒」というように、十二という数字は、物質が循環し、進展していく時の単位のようです。胸には循環器の中心があり、血液が循環進展していく中心になっています。
 それでは、頸椎の七個の意味はどうでしょう。聖書の創世記によると、神はこの宇宙を七日で創っています。また「七大天使・七福神・北斗七星・ラッキーセブン・七色の虹・七音階・七不思議」等、七という数字を使う時は、【天】を表す時に使います。見た通り、頚椎は【頭(天)】に近い所にあります。


【人体の構成は三つの組み合わせ】

 また更に見ていきますと、腕の関節は、肩関節・肘の関節・手首の関節というように三つにわかれ、腕の骨も、「上腕骨」と「尺骨・椀骨」と手根骨・中手骨・指節骨」の「一」・「二」・「三」に分かれ、物質をつかむ指は五本になっています。 
 それに足を見ても関節は「股関節・膝関節・足首」の関節の3つに分かれ、足の骨は「大腿骨」と「俳骨・腰骨」と「足根骨・中足骨・指節骨」の「一」・「二」・「三」に分かれています。大地をつかむ足の指も五本の組合せになっています。
 五官をみても「目は白い部分と黒い部分と瞳孔」の三つに分かれ、耳も「外耳・中耳・内耳」の三つに分かれ、鼻も「上鼻道・中鼻道・下鼻道」の三つに分かれています。
 それに「口・舌・歯」は、三つで一体となって、消化管の入口としての役割を果たしていますし、皮膚をみても「表皮・真皮・皮下組織」の三つに分かれているのです。






【宇宙と人間の関係】

 以上のように、宇宙と人体の関係は、フラクタルに出来ているのです。『(三章(陰陽@)』の〔万物の基本は一・二・三〕を参照)このことは、宇宙が偶然にできているのではなく、意図的につくられていることを示しています。
 ジグソーパズルに例えますと、バラバラで買って来た物を、一片一片合わせて一つの物に完成します。その完成した物をまた一片にして、一つの物を完成させ、またその完成した物を一片にして・・・、というふうに、繰り返しジクソーパズルを作っていく姿が、宇宙(自然)だと思って下さい。そうすると宇宙(自然)を知りたければ、自分を知ればよいことになり、逆に自分を知りたければ、宇宙(自然)を知ればよいことになります。
 宇宙はこのように見ていきますと、無限大のスーパーコンピューターだといえます。
 またこのフラクタルは、心にも働いているのです。そのことを昔から、「一を聞いて十を知る」「一芸は百芸に通ずる」「一事が成れば万事なる」等と、表現しております。
 そうすると私達は、未来を計算して予測することが、本当に可能ではないかと思えてきます。


【占いもフラクタル】

 昔の人はこのことを知っていたのでしょうか。世の中にはあらゆる占いがあります。
 昔、亀トといって亀の甲を焼き、出来た裂け目で吉兆を見る占いがありました。昔の人はひび割れがフラクタルであることを知っていたのでしょう。
 それにタロット占い・トランプ占い・星座占い・姓名判断・家相・墓相・人相等、珍しいところでは、水の上に墨を落としてその形で占ったり、卵の割れ方や、ピアノの音の響き方で、占う占い師まで登場してきました。これらも、皆フラクタル現象に当てはまるといっていいでしょう。
   

【占いが100%あたらない理由】

 ところが占いの粋を集めた占筮や占星術が、どうして100%ではないのでしょう。また当たるも八卦当たらぬも八卦と言うように、よく当たる占い師や、あまり当たらない占い師がいるのはどういう訳でしょう。このことは、つぎのように説明できます。もしこの宇宙に人間がいなかったら、あらゆる動き、あらゆる変化を100%予測出来るはずです。それは、自然には人間のような、自分の都合だけ考えるという我などは無く、相互関係による、原因結果の法則だけが働いているからです。100%予測するためには、全ての情報をインプット出来るスーパーコンピューターが必要ですが、科学の進歩により、ひょっとしたらそれは可能になるかもしれません。しかし人間がいると、人間の我によって自然を狂わされるため、予測が不可能になってくるのです。
 でも心にも、法則が働いていると言いました。そうすると、個人個人の情報つまり遺伝子や性格と心の法則をインプットしたら、私達の運命は100%わかるのではないでしょうか?
 ところが人間には【心変わり】というものがあるのです。人間以外の動物・植物・鉱物には【心変わり】というものがありません。この【心変わり】というのは、今までの生き方とは違った生き方をするというような、ぜんぜん予測のつかない心変わりのことです。
 では人間は、なぜこのような心変わりをするのかというと、【反省する】という、人間だけにしかない特徴を持っているからです。犬や猿が、生き方を反省して、犬格や猿格が変わったとか、出家したなどと聞いたことがないでしょう。
 人間はある日突然、生き方を反省して、人格が変わったり、出家したりするのです。これでは、コンピューターも対応できません。


【念の強弱】

 更にここで、念というものが作用してくるのです。念とはなにか特別なもののように思われますが、念とは今の心、つまり目的意識が身体から発信されている状態のことをいうのです。それに、念には強弱があります。詳しくは『二章(丹田)』を参照してください。
 さて目的意識の強弱とは、どのようなことをいうのでしょうか。
 例えば、友人と二人でデパートヘ買物に行って、あなたがエスカレーターに乗ろうとしたとき、友人が強い語気で「階段にしようよ!」と言われて、しぶしぶ階段を上がったことがありませんか。あなたが一人であれば、エスカレーターに乗っていたところ、友人の強い念によって、あなたの目的意識を変えられたということになるのです。
 このときに、あなたは友人のことを思って、喜んで階段を上がったのなら、目的意識を変えられたのではなく、自分で目的意識を変えたということになるのですが、しぶしぶということが念に負けたということになるのです。
   

【占いは念の作用】

 占い師に話をもどしますと、皆さんはよく当たる占い師と、あまり当たらない占い師とでは、どこが違うのか考えて見られたことがありますか。
 よく当たる占い師は、念が人一倍強いのです。つまり肝心なところは断定的に言ったり、語気を強めたり、時には強迫的な言い方をします。気の弱い優柔不断な占い師など、あまり見たことがないでしょう。これでは当たらぬも八卦ということになってしまうからです。それに占いを見てもらいに行く人は、何か悩みがあるために、普段より気(念)は弱っているのです。その上、占い師と見てもらう人の関係は、能動と受動がはっきりしています。所謂、送信機と受信機の関係になるわけです。これでは簡単に、占い師の念(目的意識)を受け入れてしまい、言われた通りの運命になってしまうということです。念の強い占い師であればあるほど然りです。
 易でも、占星術でも、またタロット占いでも、同じ占いかたをしたとしても、その時の占い師の直感、その時の占い師の心境等によって、相手に与える影響が変化するのです。
 このことは、中国から伝わった麻雀というゲームを見ると、よくわかります。麻雀とは4人で四角いテーブルを囲んで行うゲームで、まるで宇宙の組合せを考えたようなゲームです。このゲームを、人間が行わずコンピューターですすめていくとどうでしょう。たぶんゲームを行えば行うほど、勝敗は四分の一ずつに近づいていくでしょう。ところが人間同士で行っている麻雀ゲームは、その人の腕前や体調によっても、勝敗の差はどんどんひらきますが、腕前や体調が同じような場合でも、大きく差がつく場合があります。これを一般に【ツキ】と呼んでいるのです。
 このツキというのは、あらゆるゲームにいえることですが、ゲームの内容が単純であればあるほどこのツキが左右してくるのです。


【ツキとは念の作用】

 では、この【ツキ】とは、どのようなものでしょう。
 よく私達は「ツキを呼び込む」とか、「ツキにみはなされた」とか言います。このツキこそ、【念】のエネルギーなのです。お金が賭かった単純なゲームこそ、念のゲームといっていいでしょう。
 なぜなら、お金が賭かると目的意識(念)が強くなり、単純なゲームであればあるほど、技量に関係がなくなるからです。
 つまりサイコロの丁半博打(二つのサイコロを振って、その和が偶数か奇数かによって勝敗をきめる単純なゲーム)などは、【念力ゲーム】といっていいでしよう。
 このようなことから考えても、【念】の強い占い師に観てもらうと、気の弱い人などひとたまりもないでしょう。


【失敗は成功のもと】

 ところが、私達はつぎのような話をよく耳にします。
 「占いはのめり込まず、良いことだけを聞いて、悪いことは気にせず、人生の参考にして生きていけばいいのよ。」
 なるほどと思う意見ですが、ここでいう【良いこと】とは、どんなことをいうのでしょう。また【悪いこと】とは、なにを基準にしているのでしょう。ほとんどが、金運・恋愛運・仕事運・健康運などです。人間は病気をすることによって、健康の有難さに気づいたり、貧乏をして貧しい人の気持ちがわかったり、また失敗して成功の意味がわかるのです。
 世の中の偉人には、「子供のときの体験が人生を変えた」というケースが多くあります。
 たとえば映画『奇跡の人』で有名になったアメリカのヘレン・ケラーは、二歳の時盲聾唖(もうろうあ)の三重苦になりながら、大学まで卒業し女流教育家となり、また社会福祉事業家として活躍され、身体障害者の援助に尽力されました。
 またドイツの偉大な作曲家ベートーヴェンは、青年時代より聴覚が悪く、晩年にはほとんど聴力を失いながらも、極めて高い境地に達していたといわれています。
 このように子供時代に肉体的な欠陥があり、それを克服することによって、その道の成功者になったり、子供時代に貧しかったため、人一倍努力することを覚え、財を成した人など多くの人がいます。
 これらの人々は、一様に次のようにいいます「私は貧乏という経験をしたお蔭で、このように財を築けました。」とか、「私は身体に欠陥があったため、人一倍努力ができました。今になってみると身体の欠陥に感謝しております。」などと、このような言葉を聞いたことがあるでしょう。
 皆さんが、占いに行って観てもらうということは、人生を失敗しないように、祈る気持ちから行かれると思いますが、成功した人は、その失敗という部分、つまり世間では不幸といわれていることに、感謝すると言っているのです。
 このことは、不幸を克服するときの努力のすばらしさを言っているのです。「失敗は成功のもと」「雨降って地かたまる」「七転び八起き」このような言葉でわかるように、なにかを克服していくことによって、心を養っていくのです。その時に人間は輝くのです。
 このように、心を豊かに大きな心をつくっていくという目的が、物質欲や肉体の健康だけに心をうばわれると、知らず知らずのうちに、心と身体のバランスをうしなっていくのです。私達は、宇宙の陰陽システムをしっかり把握し、そしていろんな体験を積んいくなかで心を養っていくことを、主体にしていきたいものです。
 次章では『ゆらぎ』という宇宙の法則を説明していきます。

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