第 二 章



 丹 田


【丹田とはどんな意味、またどこにあるの?】

 気功を習った方は、【丹田】という言葉をよく耳にされると思います。「意守丹田」とか「丹田に気を沈める」などと言います。では、この丹田とはどういう意味でしょう?又、何処にあるのでしょう?
 まず、【丹】という漢字は仁丹や万金丹などと使われている様に、「練り薬」という意味があり、丹誠をこめるとか丹念や丹精という様に「まごころ」という意味にも使われます。それ以外には牡丹とか丹頂鶴という字に使われ、「赤色」という意味もあります。この赤色の波長は体にあたると細胞に適度な刺激を与える為、赤外線や遠赤外線の波長を健康器具に使ったりしています。昔、日本人が女性は赤い腰巻きを、男性は赤い禅などを使ったことがあったのは、赤色が肉体に良い事を知っていたのかも知れません。また面白いことに、まごころのことを赤心とも言います。
  一方、【田】という字はどの様に使われているでしょうか?稲などを植える土地の事を水田や田地と言い、石炭を採取する土地を炭田、石油は油田、塩を作る所を塩田と言います。つまり、丹田とは「丹を練る場所」であると言えるでしょう。
 中国では丹田をどの様に説明しているのか『林厚省著・実践中国気功法』より以下引用してみます。 

『古代の道を修行した人は延命を求め、その道を体得する際に、金属類の物質を練丹用の爐の中に入れて加工精製し、それを服用していた。その結果、非常に多くの人々が長生不老を得なかっただけでなく、反対に中毒して身を亡ぼしていたのである。それで後にはいろいろな養生家たちは人体内部で呼吸・意守の修練方法をおこなうことによって、体内に仙丹霊薬が生まれてくるものと考え、それが頭部であれば上丹田、胸部であれば中丹田、下腹部であれば下丹田といってきたのである。
 古代の人々は次のように考えた。丹田は全身を滋養する重要な部位であり、また「呼吸の出入り」はここと関連しているし、陰陽の開合もこの丹田の存在にかかっていると、火がなければすべてのものが皆温まることもなく、水がなければ臓腑がすべて潤うこともできないのである。これらは全身の生命と関係している。これらの中のどの一つが、例えかすかにであっても、絶えてさえいないならば、生気も例えかすかにであっても亡びることはないのだ、といわれている。また、武術家は「丹田に混元の気を練成しておれば、広い天下のどこにいってもかなうものはいない」とみていた。こうしたことから分かるように丹田という部位は気功修練者にとって極めて重要な部位であるのである。
 しかし丹田はどこにあるのか?という点では、古書の記載がまちまちであるし説明も一致していない。そして単に上、中、下の区別があるだけでなく、さらに前・後丹田などの区別もある。また上、中、下丹田の説明も同じではない。
 上丹田は百会をさすとも、印堂であるとも、また祖窮(両眼の中間)であるともいわれている。中丹田は壇中であるとも、臍であるともいう人がいる。下丹田についても、臍の内部であるとか、臍であるとか・・・臍下一・三寸である、いや臍下一・五寸である、いや臍下三寸であるとか、さらそれは会陰であるし、さらに後丹田は命門であるなどという人がいる。要するに皆の各説はまちまちなのである。
 しかし私は次の様に考えている。丹田には三箇所あり、両眉の中間が上丹田であり、みぞおちの所が中丹田であり、臍下の下腹部が下丹田であること。私達が日常よく意守丹田という場合は下丹田を意守することを示している。つまり臍下の下腹部を意守すればよいのだと私は思っている。』

 少し長くなりましたが、以上が『実践中国気功法』より丹田について引用した箇所です。結局、中国でもあまりこれといった決まりが無い様です。では上・中・下の丹田ではどの様な働きがあるのか、この後もう少しわかりやすく説明してみましょう。
 私達はよく「心が通う」とか「心を入れ替える」などといって心を大切にしますが、その心とはどこにあるのでしょう?ほとんどの人は脳が心だと思っているのではないでしょうか?しかし、昔から人に反省をうながす時「胸に手をあてて考えて来なさい」と言ったり、「胸騒ぎ・胸がすく・胸を納める・胸を打つ・胸を踊らせる・胸を焦がす・胸を痛める・胸を弾ませる・胸三寸」 などと心が胸にあるかの様な言い方をします。脳は目に見えますが、心は目に見えないものです。






【中丹田の働き】

 私たちがよくお世話になっているコンピューターも、目に見えるハードウェアと目に見えないソフトウエアに分れています。ハードウェアの中にすべての情報が入っているわけではなく、ソフトウェアは普通、CDやフロッピーディスクにはいっています。脳もハードウェア、つまりスーパーコンピューターの様なものなのかも知れません。
 例えば私達は普通コンピュータ室では静かにし、会議室では熱をこめて話をするものです。
 人体を見ても「頭寒足熱」といい、頭は冷やした方がよいし、心は『熱き心』といって熱をこめるものです。また、皆さんは悲しい時に悲しみが胸から込み上げてきたり、嬉しい時に胸が膨らむ様な感じを味わった事があるでしょう。
 この様な事から考えますと、想像するのは頭ではなく、胸で行いそれを脳細胞に送っていると言えます。それに「思う」と言う字は心の上に田と書き、「想う」と言う字は心の上に相(かたち)と書きます。所謂、中丹田はイメージをする場所なのです。


【下丹田の働き

 次に下丹田の役割は、と言いますと、私達はここを「腹」と呼んでいます。腹とは肉体的なもの以外に「心の中」とか「考え」また「度量」や「胆力」の意味に使われます。例えば「腹を決める・腹を固める・腹が太い・腹を割る・腹が立つ・腹がすわる・腹を探る・腹が出来る等」、意志力の意味によく使われます。
 私達が決心したり決断する時に、よく腹をたたくと言う事でもそれがよくわかりますし、意志の強い人は不動心をもって、安定度が高く、よく落ち着いています。
 この「落ち着く」とは、「腹に気が落ちて着く」という事で、「沈着」とか「腑に落ちる」も同じ意味になります。どうも腹は、意志を固める時によく使われるみたいです。
 一方、肉体的な安定についてみると、物質のバランスのとれた形は球体です。その中心に重心がある時、球はスムーズに転がっていきます。仮に人体を球に例えると、その中心は臍になり、そこに重心をもってくると、身体は安定しスムーズに進むということです。
 逆に、首や肩に力が入って重心が上がり不安定になると、体はスムーズに進みません。この状態を長く続けていると体を壊すもとになるのです。又、心と体は連係しているので気を張りすぎたりすると肩肘も張ってきます。それに怒り肩といって腹がたつと、首・肩に力が入ってきます。
 気功では「上虚下実」と言って頭を冷静に保ち上体の力を抜いて腹に気を落とし、下半身を充実させることが健康の秘訣だと敢えています。所謂、下丹田とは力を溜めて意志を固める場所だと言えます。


【上丹田の働き】

 では三つ目の上丹田とは、どんな場所でしょう。私達は腹で固めた意志の力を行動に移しますが、肉体的には運動エネルギーや熱エネルギーとして発散されます。では、意志のエネルギーはどこから発散されるのでしょう。
 皆さんはものを人に頼む時や祈願する時、おでこの前で合掌して眉間にしわを寄せるでしょう。それに目的達成の為気合を入れる時、頭にねじりハチマキを巻くこともあるでしょう。つまり腹で固めた意志は眉間から発信されます。この発信されている状態を「流れ」といい、時間でいいますと「過去・現在・未来」と動いている状態です。一言で言いますと「今」です。「今・今・今・・・」の連続を時間、時の流れと言います。このことから眉間から発信されるエネルギーの状態を、今の心と書いて【念】と呼ぶのです。別の言い方をしますと、「目的意識」と言うエネルギーが発信されている状態です。この目的意識が動かなければ気持ちは動かず、死も同然ですし、運動神経や自律神経も動きません。
 念とは何か特別なエネルギーの様にも思えますが、本当は私達は一日中、片時も忘れず念じ続けていると言う事です。


【気を発するとは?】 

 またエネルギーには循環の法則があり、一度発信したエネルギーは必ず返ってきますので、眉間は発信機であり受信機でもあります。それに、カメラの様にしぼりがついていて、エネルギーを集中したり、拡散したりできます。正に太陽の光をレンズで集中させると、紙でも燃やす力になるのと同じ事だといえます。普通、私達は体中の経穴(ツボ)からエネルギーを吸収・発散しているのですが、特に日常に意識が集中している手のひらや目のあたりからは、エネルギーをより多く吸収・発散しているのです。
 この様な理由から、外気療法といって気功師が手のひらからエネルギーを出しているのです。このことは昔から「手当て」という言葉で残っています。また祈祷師や超能力者が祈祷をしたりスプーンをまげる時は、眉間のあたりから強いエネルギーを出している事が多いのです。
 しかし、念はエネルギーですから出しすぎますと疲れます。その証拠に目を見ると元気がなくなっています。昔から「目でものを言う」とか、「目が生きている・死んでいる」などと言われる所以でしょう。


【目的意識は正しく】

 この様に、目的意識(意志)のエネルギーが発信されている状態が「念」だとわかってきますと、「雑念」とは目的がたくさんあって、あれもこれもとはっきりせず生きていることになります。
 「残念」とは、目的意識のエネルギーが残ったままの状態で、流れにくくなっており、溜まりすぎてきますと「執着」といって、その場でぐるぐる回るだけのエネルギーになります。それを別名「執念・怨念」と言い、仏教では「カルマ・業」と言っています。ですから私達は念を残すなと言うのです。
 また「念仏」とは、仏を目標に生きると言うこととなりますが、仏の意味がわからなければ目標は変わってきます。この場合、仏とは悟られた方(如来)の事ですから、念仏とは如来の心を目標に生きると言う意味になります。それを言葉に出して自分に言い聞かす事が、念仏を唱えると言う事なのです。
 現在は念仏を唱える事が目的になってしまって、本来の目的が変わっている様です。ですから儒教では「格物知数」と言って、真理を得るにはまず勉強から始めなさいと言っているわけです。
 人生の目的を間違うと大変な事になります。然るに念には、「正念」と「邪念」があると言う事です。
 また念には強弱があり、強い念の人は弱い念の人を吸収し、影響を与えます。つまり私達は善人でも念が弱いと、念の強い悪人に感化されるので、念は強く持たなければならないと言う事を知るべきです。
 昔から「さわらぬ神に崇りなし」と言うのを正確には「さわらぬ念に崇りなし」が本当だと思います。
 まず念(目的意識)を強く持つには、腹で意志を強く固めないとだめです。正しく念を持つためには、固める前の意思を正しくしないとだめです。つまり中丹田(胸)で正しく想い下丹田(腹)でしっかり意志を固めないと、正しく強い念にはなりません。
 この想念を正しく修正していく事をキリスト教では、「懺悔して悔い改める(瞑想)」と言い、仏教では「止観」や「禅定」の事に当たります。つまり反省して悪い想いを捨てていくことです。正しくとは、もちろん調和を目的とした波動です。無限に有る自然のエネルギーは、調和を目的とした愛と慈悲だけのエネルギーの事です。
 故にこのエネルギーに波長を合わせると、エネルギー波長共鳴の法則に従って、中丹田に無限にエネルギーが入ってきます。それを腹に落として意志を強く固めると、正しく強い念になるということです。
 わかりやすく言いますと、怒りや恨みの考えは捨てて、人々との調和を目的とした考え方をしっかり持って行動してゆくと、エネルギーは補充されるということです。
 「想念」が調和されてきますと、よく絵画で見る天使や仏像のように、頭あたりからまた、体中から調和したエネルギーが後光として輝き出してくるのです。このエネルギーが手のひらや眉間から出ると、先程説明した外気療法・ヒーリングとして治療効果が現れるのです。想念を調和してから外気療法をしないと、疲れたり体の調子が悪くなったという事が起きるのです。
 特に超能力ゲームや念力遊びには気を付けて下さい。調和から外れた念を発信すると、波長共鳴の法則により、不調和なエネルギーが何倍もの強いエネルギーとして自分に還ってきます。エネルギーは集中すると力になるので、人を飛ばしたり、一時的に病気を治す力を持つのです。
 しかし、最後には我身を滅ぼす事になります。


【周天とは】

 善因善果・悪因悪果ということで、邪念は運命を悪くし、正念は運命を良くするということにもなります。正念は自分に還り、正しく想う原料になり、その意志を強く固め、信念に変わり発信され、また自分に還るという循環をします。これを「周天」と言い、気は体の中と自然との間を円運動しています。
 つまり中丹田で正しく想像したエネルギーは、鳩尾を通り、腹に落ち固まり、尾骨から仙骨を通り、背骨から頭へと上がり、額から念として発信され、自然から波長共鳴の法則により調和したエネルギーを何倍ものエネルギーとして受信し、胸に還します。
 肉体的にも腰(仙骨)を中心に背骨をくねらして、体を波打つ運動をします。私達は日常、人に感謝をしてお辞儀をする時、心がこもると自然に体が柔らかくなり、少しくねらした様にお辞儀をします。
 外国映画などで古代エジプト人などが祈りを捧げる時、体を彼の様にくねらして祈っている姿をみたり、女性が男性を誘う時、艶めかしく体をくねらせて誘っている姿も見ることがあるでしょう。
 これらは想念を、胸→腹→額と周天させる時、エネルギーを通しやすくする為、体をくねらせる姿、つまり波動の姿なのです。これで背骨が波打った形をしている意味がわかると思います。
 武道の世界では、中国の実戦拳法と恐れられた『意拳(大成拳)』の創始者王郷斎老師が、試合で相手が体に触れた時、体をブルッと震わせたとたん、相手が飛んだという逸話が残っています。
 このように体を波打たせるには、上体が柔らかく、下半身が充実していなければ出来ません。実は人間が歩く行為も上体を柔らかくする為、手を大きく振るのです。下半身は腹の中の重心が円運動することによって前に進んで行き、足の裏も踵から爪先へ、爪先から踵と、良く見ると円運動をしています。
 所謂、肉体的にも精神的にも気は「周天」と言って、円運動するのです。精神と肉体は連動しているということで、別々には考えられないのです。


【想念は正しく】

 想念を正すには姿勢を正さなければならない事や、体をいつも上虚下実に保っておく事が、精神の安定にもつながることを昔から「健全な肉体には健全な精神が宿る」と言っているのです。その為に、上・中・下の丹田は自分でよくマッサージをして下さい。
 上丹田は目の周り・額・耳を、中丹田は鎖骨から肋骨の間、鳩尾から下の肋骨沿いに、下丹田は鼠径部から腹の周り、仙骨をよくマッサージして柔らかくして下さい。上丹田が堅くなるとエネルギーが発信されにくく、念の力も弱まります。昔、子供の頃に前髪を下ろして、成人すると前髪を切っていたという事は、子供の間は親の念で守られているが、成人すると自分の念(目的意識)で生きてゆきなさいという意味なのでしょう。又、念の質が悪いと頭痛の原因になったり、耳鳴りをおこしてしまします。その証拠に怒りの念はカチンと音までたてて頭にくるではないですか。
 中丹田が堅くなると、良い思いが湧きにくくなります(本当は悪い思いを出すので堅くなるのですが)。
人の悪口を言ったり、ムカッとくることが多い人は、胸を狭めたり鳩尾に力を入れたりする事が多いのです。その為、胸や鳩尾にシコリが出来てきて、胸の気が腹に落ちにくくなります。
 下丹田は意志を固めるわけですから、普段から柔らかい腹でないと固まりません。例えば粘土で何かを作るのでも、水分のない固まった粘土では何も作れません。つまりガンコと言われる人です。又、水分の多すぎる粘土でも作れません。いつも腹式呼吸(丹田呼吸)で腹を柔らかくして下さい(練丹)。便秘の長引く人や下痢の人は決断力が鈍るのはその為です。そして仙骨から背骨を柔らかくして、頭に良い念を送って下さい。
 肉体と精神の関係に於いて、中医学の経絡で見ますと、「手少陰心経と手太陽小腸経」「手太陰肺経と手陽明大腸経」は表裏の関係にあり、胸(心臓・肺)と腹(小腸・大腸)の関係を表しています、天目には全ての経絡が集まっていると言われています。
 額の中心を別名「第3の目」とか「天目(意識の目)」とも言われ、仏像などで見るとよく額にほくろのようなものが付いています。人が4次元に意識が向くと、「うわのそら」と言って白目になるのは、肉体の目が天目の方を見る為です。眠ると意識は4次元に行くので、瞼を開いてみると白目になっているのです。
 以上の事から、中丹田は「想う場所」・下丹田は「その想いを固める場所」・上丹田は「そのエネルギーを発信し、受信する場所」だということがわかって頂けたと思います。それゆえ、想念は正しく持つべきであることがわかると思いますし、仏教の『八正道(正見・正思〔想〕・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)』の中に、正思と正念が分けて番いてある理由もわかって頂けたと思います。
 私達は想念を胸の奥にある良心に基づいて、日々、行動し努力していかなければ、運命は良くならないということになります。
 次章では中国の『陰陽五行説』をもとに陰陽のエネルギーについて、説明してみたいと思います

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