第 三 十 四 章



 


【機とはシステム】 

 さて、【機】という字はどのように使われているのでしょう。
 『機械・機関・機器』といったように【からくり、しかけ】という意味、また『機知・機敏』というように【物事の働き、心の働き】の意味、また『機を逸せず・機が熟す・機に乗ずる・機をうかがう・機運・機会・時機』というように【物事の起こるきっかけ、はずみ、しおどきなどの意味】、また『横根・有機・無機・機密・飛行機』等々に使われています。
 また別の読み方では機織りの『はた』とも読みます。
 このように、【機】という字はあらゆる意味に使われていますが、何か共通するものがあるように思いませんか。
 それは、機織りのはたと読むように、何か入り組んだ【システム】のようなものだと思います。私達はよく「人生にはそう度々チャンスはないのだから、少ないチャンスは大切にしよう」などと言うことがあります。そうかと思えば、昔から『果報は寝て待て』という諺もあり、あせって頑張っても無駄だといっています。これはどちらも『機を逸せず』というように、機が熟した時でないと、物事を成すのはだめだという意味です。
 つまり『機が熟した時』とは、あるシステムの中であらゆる条件が整った時のことだということです。
 よく考えると、人生も大きなシステムなのです。なぜなら人間は一人で生きていけないように、人生はあらゆる関係において成り立っているのです。それは自然界を見ればわかります。例えば、人間が酸素を吸って炭酸ガスを出せば、植物は炭酸ガスを吸って酸素を出すように、お互い助け合っています。
 また、人や動物が死ぬと、バクテリアが死体を処理し、それが土の栄養になり、またそれが植物の栄養になり、またそれを人や動物が栄養にするといったように、全て共存共栄の世界、つまり自然界はある一つの大きなシステムだといえるのです。
 そのシステムの中で生きている人間の人生も、当然一つのシステムだといえるのです。その証拠に、自分の人生を自分の思い通りに生きようとしても、世間はなかなかそうはさせてくれないものです。
 ところが、自然界ならシステムの構造は現実として目に見えてわかるのですが、私達の人生を一つのシステムだといっても、全体の構造は見えてはこないでしょう。自然界のシステムの中の機というなら、例えば植物を見ればわかります。米、野菜、果物全て、収穫時期や食べ頃というものがあり、目に見えてわかるのです。
 リンゴやミカンの木に果実がなったからといって、すぐに取って食べても美味しくないし、また熟れ過ぎてもだめです。同じ種の植物なら、発芽期や花の咲く時期や実のなる時期は同じなのです。
 このように、自然界のシステムはよく見ると、ひとつのサイクルがあるので、【機】というものが、目にみえてわかってくるのです。ところが、人生のシステムはどのように観察すればよいのでしょう。

【失敗の中に宝物】

 人生にも『機をうかがう』とか『時機到来・機に乗ずる・機を逸せず』等というように、【機】というものがあるのです。機があるということは、人生は一つのシステムだということは間違いないのですが、そのシステムの構造を知るのが難解なのです。
 人生の中でいつも機が見えて、いつも機に乗ずることができたら、なんと人生が楽しいことでしょう。また反対に機がわからずに、いつも機を逸していたら、とても人生は悲しいものになるのです。
 それでは、人生の機を知る方法を一緒に考えてみましょう。
 その前に、機を逸した時、つまりチャンスをつかみきれなかった時は、どのような時なのかを考えてみなくてはなりません。
 人それぞれ、今までにいろいろなチャンスというものがあったと思いますが、全部が全部チャンスを生かしきれたとは限りません。言い方を変えれば、今までに大なり小なり失敗というものをしてきたと思います。
 この失敗というものが、人生にはとても大切なのです。なぜなら『失敗は成功のもと』というではありませんか。ではなぜ失敗は成功のもとなのでしょう?
 それは、失敗の中に機を逸した原因があるからなのです。その原因を見つければ、機に乗ずる方法が見つかるはずだからです。皆さんも、自分の人生の中で経験した失敗を、しっかり思い出して反省してみましょう。その中に宝ものがあるはずです。
 
 では、私の失敗例の中から考えてみた、失敗の原因を取り上げてみます。『あせり・見栄体裁・欲張る・倣慢・自信過剰・注意散漫・ごまかす・優柔不断・不安・恐怖心・自信喪失』等々です。以上の原因を見れば、すべては【我】から出ているのです。(「我」については本書三十一章を参照して下さい)
 『あせり』から『自信過剰』までは【我】が陽にはたらき、『注意散漫』から『自信喪失』までは【我】が陰にはたらいているのです。このように、極端から極端の想いが失敗の原因になっているのです。
 この極端の考え方というのは、具体的にどのような考えをいうのでしょうか?
 
 例えば『あせり』とは、今現在のことより先の結果が気になって、気持ちが先へ先へ向いている様子のことです。また『不安』もそうで、現在のことより先の結果が気になって落ち着かない様子のことをいいます。
 陽に向かう我とは、「将来の自分は、人より優れているほうがよい」という気持ちだけで、他人に対する思いやりや愛惜の一切無い状態のことで、また陰に向かう我とは、「将来の自分は、人より劣っているのではないか」という気持ちだけで自分に対する思いやりや愛惜の一切無い状態をいうのです。
 どちらも、今現在の自分をおろそかにして、将来にばかり自分をもっていく状態のことをいうのです。つまり、今現在を一所懸命生きていないことになるのです。
 要するに失敗の原因は、今与えられていることに誠心誠意尽くさないことにあると言えます。
 まさに『なせば成るなさねば成らぬなにごとも、成らぬは人のなさぬなりけり』ということわざ通りです。

【人生の機を知る方法】

 では話しを戻して、人生の機を知るには、どのようにすれば良いのかということですが、失敗から学んだことを参考にすると、『自分を信じて、他人に思いやりを持ち、与えられた目のまえのことを一所懸命努力する』ということが、人生の成功者になるということになります。
 世の中の成功者や偉人の伝記を見ると、ほとんどが自分を信じ、信念をもって生き、また奢りたかぶりません。つまりこのような生き方をすれば、自然に人生の機が見えてくるのではないでしょうか。
 私達は、受験に失敗したり、事業に失敗したり、また恋愛に失敗したりすることがあります。その時の心境を振り返って見ると、ほとんどがさきほどの原因に当てはまるのではないでしょうか。
 ところが、「私はその時は無心で一所懸命でしたが、だめでした」という方がいらっしゃるでしょう。
 そのような場合はどのように考えたら良いのかというと、それは【機】に入っていなかったと考えるべきでしょう。なぜなら、そのことが成就しなかったことが、後で必ず良い結果となるはずだからです。
 また、たとえ無心で一所懸命して成功したからといって、奢り高ぶり増上慢になると、必ず機からはずれて、反動を受けるということになります。
 ここで、機というものがどうしてあるのか、そしてどうして人生は大きなシステムなのかを考えてみましょう。
 私達の住んでいる地球を含めたこの宇宙は、『諸行無常』といって、変化し続ける世界です。そしてその変化も、ある一定の法則があるのです。ということは、さきほども説明したように、自然界は一つの大きなシステムだといえるのです。
 そして自然界をよく見れば、そのシステムの中を変化していく過程で、大きく変化する時期があるのです。例えば、一年を見ると自然環境は日々変化していますが、大きく季節というものがあり、春夏秋冬に分けれます。これは、陽(夏)と陰(冬)を繰り返す姿なのですが、変わり目として春と秋があるのです。この変わり目が大事なのです。植物を見ると、春に芽を出し、秋に実るというように、物事の区切りの時期です。陰陽でいうと、変わり目は【中】ということになるのです。
 発芽を大事にしないと夏に成長しないし、秋に収穫をしないと冬が越せません。このように、中という変わり目が【機】であるといえるのです。
 人生でいうと変わり目は、『進学・恋愛・就職・結婚・出産・転職・転居・開業・会社設立』等々ですが、よく見ると、私達が占いや神頼みによく走る内容ではないですか。私達が人生の変わり目を、とても大切にしているという証拠なのですが、果たして占いや神頼みで機に乗ずることができるのでしょうか?



【人の出会いは大事な機】

 ここでよく考えてみましょう。変わり目といえば、環境や状況の変化ばかりを考えていますが、一番大事なことは人の出会いなのです。
 人生は、『一人の出会いで一生が決まる』ということをよく耳にします。このように、一番大きな機とは、人の出会いなのです。このことを【縁生】といいます。そして人の出会いには、浅い縁と深い縁があります。
 以前にもお話ししましたが、縁とは【約束】のことをいうのです。私達はあの世から両親を縁として、この三次元世界に調和と魂の向上を目的として、生まれてきたのです。そのためには、生まれる前に、自分で人生の計画をするはずです。そこで大事な協力者が必要になるのです。夫婦や親友や仕事の協力者等々を決めて約束をしなければ計画はできません。
 そして仮に計画が出来たとしても、この世に生まれてくるには、両親が決まっていなければ無理なことなのです。それほどに、両親との約束は大切なのです。そうして、この世に生まれてきて人生を過ごすのですが、私達は往々にして大切な約束を疎かにする場合があるのです。
 これが『機を逸する』ということになるのです。
 ではどうして機を逸することになるのかというと、出会いの時の自分の心の状態が熟していないからなのです。熟していないとは、つまり心の中は我でいっばいで、調和していないという状態のことです。
 然るに『機が熟す』とは、自分の心が調和している時に大切な人と出会える時なのです。昔の人はこのようなことを簡単に、『果報は寝て待て・急いてはことをしそんじる・急がばまわれ』等々と言ったのでしよう。
 このようにみると、人生は大きなシステムだということがわかっていただけると思います。ところが、このシステムも心の状態によって狂ってきます。いくらチャンスが到来しても、心の状態が調和していなければ意味をなさないのです。
 機に乗ずることは、とても大切なことだとわかっていただけたと思いますが、私達は一般に『時機到来』といえば、三次元的なことを考えていることが多いと思います。『家柄のよい縁談・会社での出世話・お金儲けの話・一躍有名になる話』等々です。そのために、占い師や神様に頼み、月日や方位を見てもらったり、加持祈祷をしてもらうのです。
 仮に機に乗じて家柄のよい縁談がまとまったからといって、将来幸せに過ごすとは限りませんし、出世したからといって仕事が順調にいくとは限らないのです。人生の機というものを生かすには、心というものを抜いてはありえないのです。
 機に乗ずるには、さきほど言いました、『自分を信じて、他人に思いやりを持ち、与えられた目の前のことを一所懸命努力する』ということになるのです。そうすれば、特に大きな時機をいうものがやって来た時には、【ひらめき】として知らされるのです。
 このひらめきというのがとても大切なのです。結婚の相手を決めるときや仕事で決断にせまられたとき等、人生の変わり目にさしかかった時は、このひらめきが重要な役割をします。


【ひらめきとは何?】

 それでは、このひらめきというのは、どのようにして起こるのでしょう?
 このひらめきを起こすのが、守護霊なのです。守護霊というと何か世間で言われている、先祖の霊とか観音菩薩が守っているように思われますが、ここでいう守護霊とは、自分の潜在意識の中にいる、良心に基づいた善なる自分なのです。
自分の中には、いざという時、必ず自分を叱咤激励してくれるもう一人の自分がいるのです。自分の心が冷静で調和している時に、必ず心の声として、善なる自分が自分に正しいアドバイスをしてくれるのです。その声に従って行動すると、機に乗じれるということなのです。
 自分の心が冷静で調和していることが大切なのですが、具体的にいうと、日々正しい心で反省と瞑想をし、自分の行動を正していく努力が必要なのです。なぜなら、いざという時に心が冷静で調和することなど、日々努力していない人にとっては至難の業だからです。
 テレビのドラマや映画などでよくみかけるシーンですが、悪者は普段強がって落ち着いているように見えていても、危険が襲ってきたりするとあわてふためいているものです。これは、映画やテレビドラマの世界だけではなく、現実の世界でも同じことが言えると思います。
 守護霊とは自分の意識の世界のことです。その守護霊と意識の波長を合わそうとするなら、物質にとらわれた心ではだめなのです。つまり、守護霊と意識を合わそうとすれば、地位・名誉・金銭欲のために占いや神さん参りをするような心とか、何事においても自分中心の我で物事を考える心ではだめだということです。何度も言いますが、『自分を信じて、他人に思いやりを持ち、与えられた目の前のことを一所懸命努力する』。そうするとなぜ機に乗じれるのかがわかっていただけると思います。
 『自分を信じて』とは守護霊のことになり、『他人に思いやりを持ち』とは調和した心ということになり、『与えられた目の前のことを一所懸命努力する』とは集中した行動力ということになるのです。
 人生の目的は、この世の調和と自分の心の向上にあります。そのチャンスは変わり目の時なのです。変わり目とは言い換えると、『いざという時』です。そのいざという時に機に乗ずか、機を逸するかは我々自分自身にあるのです。この世はシステムだといいました。そうすると、我々の人生は、まず大きなこの世の変化に左右されるのです。その変化に乗ずれば、つぎに家族の機、そして自分個人の機というものになってくるのです。所謂、自分の人生の機に乗じて幸せをつかもうとするなら、まずこの地球世界の変化をつかんでいかなくてはなりません。
 冒頭にもいいましたが、今年は今世紀最後の年で、また地球世界も大きな変化の時機にきています。
 私達がこの大きな変化のときに真価が発揮できるように、次章では【真価】というテーマで一緒に考えていきましょう


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